パラレル(調香師)
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- メイドネタ(後日談)(10/26)
作品を移動しました
遅くなりましたが、メイド企画に投稿した作品のほうをこちらに移しました。
…本編は? というツッコミは無しにしてください(苦笑)
それでは「続きを読む」よりどうぞ
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…本編は? というツッコミは無しにしてください(苦笑)
それでは「続きを読む」よりどうぞ
職業意識と感情論についての一考察
今にして思えば、あの数日間が自分の人生の分岐点であったのかもしれない。
少女――鈴川りんは、しみじみとそう感じていた。
もっとも当時はそんな事は欠片も考えずに、ただひたすらに日々の仕事を一所懸命にこなしていただけだったのであるが。
その日もいつもと何ら変わる事のない一日になる――筈であった。
いつものように屋敷の主人が出勤するのを見送った後、古参の使用人である邪見や志津と一緒に朝食を摂ってから学校へ行き、下校時に頼まれていた買い物を済ませて、仕事先兼現在の住所である犬神家――正確には犬神家が所有する不動産の一つであり、本家嫡男である殺生丸の個人資産であるが――の屋敷に戻った。
そこまでは、本当にいつもと何ら変わる事のない、ここ数ヶ月ですっかり馴染んだ「日常」であったのだ。
食材をしまうために台所へ向かうと、志津と邪見が何やら話している最中であった。
「……でも、そうでないと説明がつきませんよ」
「……しかし、あの殺生丸さまがか?」
腕を組んでうーむと唸っている邪見と向かい合っている志津も、やはり複雑な表情である。
何だろうかと思いつつ、「ただいま帰りました」と声をかけると、弾かれたように二人がりんの方に振り向いた。
「……あ、あら、お帰りなさい」
「……お、お帰り……」
どこかぎこちない二人の様子に小首を傾げながらも、りんはてきぱきと食材をよりわけて冷蔵庫にしまっていった。
「着替えてから仕事にかかりますので、少し待っていてください」
それを終えると、置いてあった鞄を持って与えられている自室へと向かおうとするりんを、慌てて志津が呼び止める。
「あ、りんさん。ちょっと待って」
「はい?」
台所の入り口で振り返ると、志津がワゴンの上に置いてあったバスケットを取り上げた所だった。
「……殺生丸さまからです」
何処か思い詰めたような表情でそう言って、りんにそれを渡した――というより押し付けた、と言った方が正確かもしれないが――志津を、りんがきょとんとした表情で見上げる。
「………は?」
思わず受け取ってしまったりんが、間の抜けた声を洩らしてしまったのも無理はないだろう。
この屋敷の主人である殺生丸は、使用人に個人的に物を贈るというようなタイプの男ではないのだ。使用人だから、主人だから、という理由で居丈高になったり、見下したりするような事はないが、使用人に対して個人的に気を遣う、と言ったことをする事もなかった。もっともそれは使用人相手に限ったことではなく、他人全般に対してそうなのであるが。
彼が気を遣う相手がいるとしたら、父親である闘牙と実母の竜胆、それに継母であり育ての親でもある十六夜くらいだろう。……異母弟である犬夜叉が含まれていないのが、ある意味とても彼らしい事ではある。
「私に、ですか……」
バスケットは結構重く、一体何が入っているのかと見下ろして、りんの眼が再び丸くなる。
「……これ、カーラ・ミアの「ナチュラル」じゃないですか」
カーラ・ミアは犬神グループの化粧品メーカーであり、殺生丸は現在そこで調香師として香水の開発などに携わっている。
「ナチュラル」と言うのはバスグッズの新商品で、主原料に天然由来の物を使用しているのが売りの製品である。アレルギー体質の人にも優しいというのが謳い文句で、この手の物には珍しく香りにまで拘り(といっても微香タイプではあるのだが)、現在三種類の香りがある。
「……一式揃ってますね」
シャンプー、コンディショナー、トリートメントにボディシャンプーとソープまで入っている。
どうしてこんな物を、と訊きかけたりんだったが、自分以上に疑問の色を濃く浮かべている志津の顔を見て、その言葉を飲み込んでしまった。
ずっと抱えているのもきついので、一旦テーブルの上にバスケットを置くと、暫し考え込む。何の気なしにソープを手にして匂いを嗅ぐと、柔らかなフローラル系の香りが優しく鼻腔を擽った。
それがきっかけであったかのように、ふとりんの脳裡を過ぎるものがあった。
「……あ、もしかして……」
「何か、心当たりがありましたか?」
ぽつりと呟いたりんに、志津が確認するように訊いてくる。その隣で邪見も、好奇心を隠しきれない様子である。
「……もしかしたら、なんですけど。昨夜、こんな事がありまして……」
念の為に一言前置きすると、りんは二人に昨夜あった事を話し始めた。
小さく欠伸を噛み殺しながら、りんは手探りで台所の電気を点けた。
眩しそうに眼を細めながらも、慣れた様子で冷蔵庫の方へ行って中からミネラルウォーターを取り出す。食器棚からコップを出そうとした矢先、その背に声がかけられた。
「まだ起きていたのか」
その声に弾かれたように振り向くと、台所の入り口に殺生丸が立っていた。どうやら今帰ってきた所らしく、まだスーツ姿のままである。
「あ……お、お帰りなさいませ」
コップを握り締めたまま反射的にそう言って、軽く頭を下げる。
「ああ」
それに軽く応じると、殺生丸は軽く片眉を上げるようにしてりんの方を見やった。
「…………」
殺生丸が何処か物珍しそうに自分の方を見ているのに気づいて、りんは少し気まずい気分になった。
入浴を済ませた後、小テストの為の試験勉強をしていたため、今のりんは(当然の事ながら)制服であるクラシカルなデザインのメイド服ではなくパジャマを着ている。そんなに透けるような生地ではないのだが、雇用主の前に出る時の格好ではないため、やはり落ち着かなかった。
「……試験勉強をしてたので……」
小声でそう言うと、気まずさを振り払うかのように彼の方に向き直って、
「何か召し上がりますか? 志津さんの野菜スープがありますけど」
格好の方はどうしようもないが、態度だけは仕事中のものにしてそう問いかける。
それに対して殺生丸は曖昧な表情で頭を振りかけたが、ふと思い直したように台所の椅子を引いて腰掛けると、
「ハーブティーを淹れてくれ」
そう言ってネクタイを緩めた。
「はい、かしこまりました」
調香師という仕事柄、殺生丸はあまり刺激物を摂らないようにしている。特に今は、新製品の開発中なので、食事内容にも気を遣っているのをりんは思い出した。
やかんに水を入れて火にかけると、ハーブとティーカップの用意をする。お湯が湧くまでの間、手持ち無沙汰に佇んでいるりんを見て、殺生丸は向かいの椅子に座るように促した。
小さく礼を言って腰を下ろしたものの、手持ち無沙汰なのには変わりがなく、また特に話すような事も思いつかない。結果、りんにとっては妙に居心地の悪い沈黙が二人の間に漂う事となった。
間を持たせるように俯いて水を飲んでいるりんを見ていた殺生丸の表情が、不意に何かに気がついたように動いた。僅かに顔を上げて色の薄い眼でりんをじっと見ると、心なしか眉根を寄せて口を開く。
「……違う物を使ったのか?」
「は?」
唐突にかけられた言葉に、りんが間の抜けた声を洩らす。
殺生丸も、言葉が足りなかった自覚はあったのか、再び口を開いた。
「髪の匂いが違う。……「ナチュラル」の、マリンノートだな」
そう言われて、りんは思わず髪に手をやっていた。洗った直後こそそれなりに香ってはいたが、乾いた今ではそれほどでもないというのに、殺生丸には分かったらしい。
「あ、はい。……友達が試供品をくれたので……」
りんが幼少時にアレルギーがあって、香料入りの物を使えなかった、というのは殺生丸も聞いてはいた。今ではもう大丈夫だが、習慣として無香料の物を愛用しているのも知っている。
友人達もそれは知っているのだが、もう大丈夫なのだからたまには、といって試供品をくれたのだという。「ナチュラル」はアレルギー体質の人でも大丈夫、というのが売りの製品であり(もちろん個人差はあるだろうが)、香りも微香タイプだからいいのではないかと思ったのだろう。
りん自身、「ナチュラル」はカーラ・ミア――つまり殺生丸の仕事先の化粧品メーカー――の製品であり、微香タイプであるからあまり気にならないだろうと思ったのだが、彼にとってはそうではなかったのだろうか。
「……あの……お気に障りますか?」
人並み外れて嗅覚が優れている殺生丸は他人のにおいというものに対して神経質な所がある。その為に、新規の使用人を雇い入れるのも容易ではない。りんが知っているだけでも、彼女の前に四人が門前払いを喰わされたのだ。因みにこれは、りんの所属する『武蔵家政婦協会』だけの人数であるから、実際はもっと多いかもしれない。
微香タイプとはいえ、香料入りの物を使ったのが彼の気に障ったのだろうかと、どこかおずおずとりんが問いかけるのにも殺生丸は相変わらず無表情のまま、小声で「別に」と答えただけだった。
その後すぐにお湯が湧いて、りんがお茶の準備に取り掛かったため、その話題はそれまでになった。
「……それだけか?」
「それだけです。……殺生丸さまはお茶を飲んでからお部屋に行かれましたし、私も後片付けをしてから休みましたので」
昨夜のことを思い出しながら、聞き手の二人に解りやすいように話を纏める。
りんの話を聞いて、志津と邪見は顔を見合わせると、深々とため息をついた。何処かしら疲れきったような二人の様子にりんは小首を傾げ、改めてバスグッズ一式の入ったバスケットに眼をやった。
「……これ、頂いてもいいんでしょうか? 物が物だから、使わないともったいないですよねぇ……」
りんがぽつりと洩らした極めて現実的な意見に、邪見が思わずといった様子で額に手を当て、志津は頬をひくりと引きつらせて深いため息をついた。
「それは、りんさんの物ですよ。わたくしたちはそう承りましたから」
これを自分が貰ってもいいのだろうかと迷っているりんに、志津が説得するような口調でそう言うと、漸く納得したように再びバスケットを持ち上げる。
「じゃあ、有難くちょうだいいたします。……着替えてから、すぐに仕事にかかりますね」
そう言ってぱたぱたと出て行くりんを見送って、年配者二人は再び揃ってため息をついた。
何だか良く分からないが、贈り物をされたのは(一応)事実なので、きちんと礼を言わなければと考えるりんであったが、その機会はなかなか訪れなかった。
最近の殺生丸はほぼ毎日午前様のため、りんが学校から帰ってきた後に彼と顔を合わせる機会は無く、朝は朝でそういった事を切り出せるような雰囲気ではない。
殺生丸が帰ってくるまで起きていようかと思ったこともあったのだが、彼の帰宅が極端に遅くなる場合、使用人たちは先に休むように言われているので、新参のりんだけが起きているという訳にもいかなかった。
結局、りんがまともに殺生丸と顔を合わせたのは、その一件から三日後の週末になってからの事であった。
朝からずっと点けっ放しだったノートパソコンの電源を落とすと、殺生丸は軽く目頭を揉み解した。
現在取り掛かっている仕事はかなり大掛かりなもので、しかも日限がいつにも増して厳しいものである為、彼を始めとするスタッフは休日返上でそれに取り組む羽目になっていた。その甲斐もあって、ほぼ完成の段階にまでこぎつける事も出来たのだが、まだ最後の詰めが残っており、ある意味それが一番の難事でもあった。
ソファで一息つくために立ち上がると、ずっと同じ体勢を取っていたせいか、ぎしぎしと筋肉が軋んでいるような気がする。後で気分転換も兼ねて、トレーニングルームで軽く汗を流そうと考えながらソファに深々と身体を沈めると、大きく息を吐いて眼を閉じる。
そうやって視覚を遮断すると、馴染んでいる自分の部屋のにおいまでもがくっきりと感じられる。
基本になっているのは言うまでもなく自分自身のものであるが、それに加えて季節ごとの空気の匂い、部屋の掃除のために入ってくる志津や邪見の残り香さえも、彼の優れた嗅覚は嗅ぎ分けることが出来た。
それは――多少の差異はあるが――本家にいたときから変わる事のない、彼にとっての「日常」のにおいであった。
人並み外れて嗅覚の優れている殺生丸が、その中で寛ぐ事の出来る数少ない匂いのひとつであるのだが、何故かここ暫くその状況が変化してきていた。
何処がどう、とは彼にもはっきりとは判らないのだが、何かが「違う」のだと、そう感じられてならないのだ。
(――何が「違う」というんだ?)
ボタンの掛け違え、という表現があるが、それほど明確なものではないような気がする。
薄く眼を開いて、ぼんやりと考えていると、部屋の扉をノックする音が響いた。志津がお茶を持ってきたらしい。
「失礼致します」
だが、殺生丸の予想に反して、澄んだ声と共に入ってきたのはりんであった。
小ぶりのワゴンを押してソファの脇まで来ると、てきぱきとお茶の準備を始める。その澱みない動作を見ていた殺生丸の鼻腔を柔らかな香りがふわりと擽った。
本人に確認するまでもなく、それが数日前自分が届けさせた物であると彼には判別できた。
「どうぞ」
かたりと小さな音を立てて、ガラステーブルの上に湯気を立てているティーカップとクラッカーが数枚載った小皿が置かれる。
無言のままカップに手を伸ばし、爽やかなレモンの香りのするハーブティーを口にする。自家製のそれは、志津が彼の好みに合わせてブレンドした物で、どういった時にどれを出せばいいのかも心得ていた。
空になったカップを受け皿に戻すと、りんが「お代わりはいかがですか」と訊いて来る。それに軽く頷くと、再びカップにハーブティーが満たされた。それに再度手を伸ばした彼に、りんがおずおずと声をかけてくる。
「……あの、殺生丸さま」
その声に彼女のほうに視線を流すと、りんは白いエプロンの前でもじもじと両手を握り締めながら、心持ち頬に血の色を上らせていた。
「あ……あの、先日はどうも有難うございました」
そう言ってぺこりと頭を下げる。その際に、邪魔にならないようにと後ろで三つ編みにされている髪が軽く跳ね、白い項が視界の隅を掠めた。
その瞬間、殺生丸の裡に僅かな――漣にも似た――熱が生じる。だがそれが白皙の面に表われる事はなく、相変わらずの無表情のまま顔を上げた少女を見つめていた。
「……別に、礼を言われるほどの事ではない」
「そんな事はないです」
殺生丸の返事に、りんが思いの外強い口調で言葉を重ねてくる。
「お気遣いいただいたんですから、お礼を申し上げるのは当然の事です」
「ナチュラル」シリーズを届けさせた事を言っているのは判るが、殺生丸にしてみれば特別に気を遣ったという感覚はなかった。そこで無言のままりんを見返していると、彼女は少しばかり複雑な表情で口を開いた。
「……やっぱり、あの匂い……お気に触ったんですか?」
「……?」
一体何の事かと考え、ややあってからそれが数日前の事を差しているのだと思い至る。釣られてあの時のりんの姿までもが鮮やかに甦ってきて、殺生丸は――他人にはそれと気づかれない程度に――眉を寄せた。
「……気に触ったというほどではない」
わざわざ答えてやる必要もないが、彼女なりに気にしているのは分かるので簡単に説明しておく事にする。
「ただ、合わない匂いをつけている者が側にいるのは落ち着かない。だから、あれを届けさせた。……それだけのことだ」
その答えに、りんが眼を丸くする。
「気に入らないのなら、無理に使わなくてもいい。それこそ、『気を遣う』必要はない」
それだけを言うと、少し冷めたハーブティーを口にする。
実際、殺生丸にとってりんがあのバスグッズ一式を使うかどうかは大した問題ではなかった。彼女自身の本来の体臭は、決して彼にとって不快に感じられるものではなかったからだ。
「いえ、そんな事はないです! ……あの、とても使い心地が良くて、さすがにカーラ・ミアの製品だなぁって思いました」
慌てたようにそう言ってくるりんに、殺生丸は無言で空になったティーカップと小皿を示した。その意味するところに、自分がつい長居をしてしまった事に気づいたりんがはっとしたような表情になった。
「あ……も、申し訳ありません」
再びぺこりと頭を下げると、ティーカップと小皿を片付け始める。最後に軽くテーブルの上を拭いてしまうと、一礼して部屋を出ていった。
りんが出て行った後、殺生丸は再びソファに背を預けた。
つい先程まで感じていた奇妙な違和感は消え、強張っていた身体の芯が解れるような感覚が全身を浸す。
その感覚に、殺生丸は自分が酷く神経質になっていた事を不意に自覚させられた。
何処よりも寛げる場所である筈のこの部屋で、本当に寛げなくなっていた事が、ここ暫くの奇妙な違和感の原因であったのだ。
「……」
殺生丸は無言で額にかかる前髪をかき上げた。
こと感情というものに関する限り、自己分析という奴はあまり得意ではない。
もっとも、分析するまでもなく原因は解りきっていたが。
(……寝間着姿を男に見られても、身の危険を感じないような小娘に、か……)
あの時のりんの動揺は、パジャマ姿を男に見られたという類のものではなく、雇用主の前に出るときの格好ではない、という家政婦としての職業意識によるものであると殺生丸にはすぐに分かった。
もっとも殺生丸自身、りんのパジャマのあまりの色気の無さに、暫し憮然としていたのであるからお互い様ではあるのだが。
(……よりにもよって、カエル柄とはな……)
形の良い唇を苦笑にも似たものが掠める。
当の彼女は、柄に拘る気はないらしく、品物としての良し悪しだけをしきりに強調しており、殺生丸が柄の方を気にしているのに全然気がついてはいなかった。りんにしてみれば、パジャマなど誰に見せる訳でもないのだから、という意識があるのだろう。
(誰に見せるわけでもない、か……)
そう思っているうちは、まだまだ子供である。――少なくとも、殺生丸にとっては。
柔らかな残り香が優しく彼の鼻腔を擽る。
その瞬間、脳裡を過ぎった考えに、殺生丸は興味を覚えたような表情になった。
どの道、誰かに頼まなくてはならないことではあるのだから、彼女に頼んでも不都合は無いであろう。
いまいちはっきりとしない自分の気持に整理をつけるのにも丁度いいかもしれない。
そう結論付けると、仕事の最後の詰めを片付けてしまうために殺生丸は再び机についてパソコンを起動させた。
――殺生丸が新製品の香水のモニターをりんに依頼するのは、この五日後の事である。
≪終≫
今にして思えば、あの数日間が自分の人生の分岐点であったのかもしれない。
少女――鈴川りんは、しみじみとそう感じていた。
もっとも当時はそんな事は欠片も考えずに、ただひたすらに日々の仕事を一所懸命にこなしていただけだったのであるが。
その日もいつもと何ら変わる事のない一日になる――筈であった。
いつものように屋敷の主人が出勤するのを見送った後、古参の使用人である邪見や志津と一緒に朝食を摂ってから学校へ行き、下校時に頼まれていた買い物を済ませて、仕事先兼現在の住所である犬神家――正確には犬神家が所有する不動産の一つであり、本家嫡男である殺生丸の個人資産であるが――の屋敷に戻った。
そこまでは、本当にいつもと何ら変わる事のない、ここ数ヶ月ですっかり馴染んだ「日常」であったのだ。
食材をしまうために台所へ向かうと、志津と邪見が何やら話している最中であった。
「……でも、そうでないと説明がつきませんよ」
「……しかし、あの殺生丸さまがか?」
腕を組んでうーむと唸っている邪見と向かい合っている志津も、やはり複雑な表情である。
何だろうかと思いつつ、「ただいま帰りました」と声をかけると、弾かれたように二人がりんの方に振り向いた。
「……あ、あら、お帰りなさい」
「……お、お帰り……」
どこかぎこちない二人の様子に小首を傾げながらも、りんはてきぱきと食材をよりわけて冷蔵庫にしまっていった。
「着替えてから仕事にかかりますので、少し待っていてください」
それを終えると、置いてあった鞄を持って与えられている自室へと向かおうとするりんを、慌てて志津が呼び止める。
「あ、りんさん。ちょっと待って」
「はい?」
台所の入り口で振り返ると、志津がワゴンの上に置いてあったバスケットを取り上げた所だった。
「……殺生丸さまからです」
何処か思い詰めたような表情でそう言って、りんにそれを渡した――というより押し付けた、と言った方が正確かもしれないが――志津を、りんがきょとんとした表情で見上げる。
「………は?」
思わず受け取ってしまったりんが、間の抜けた声を洩らしてしまったのも無理はないだろう。
この屋敷の主人である殺生丸は、使用人に個人的に物を贈るというようなタイプの男ではないのだ。使用人だから、主人だから、という理由で居丈高になったり、見下したりするような事はないが、使用人に対して個人的に気を遣う、と言ったことをする事もなかった。もっともそれは使用人相手に限ったことではなく、他人全般に対してそうなのであるが。
彼が気を遣う相手がいるとしたら、父親である闘牙と実母の竜胆、それに継母であり育ての親でもある十六夜くらいだろう。……異母弟である犬夜叉が含まれていないのが、ある意味とても彼らしい事ではある。
「私に、ですか……」
バスケットは結構重く、一体何が入っているのかと見下ろして、りんの眼が再び丸くなる。
「……これ、カーラ・ミアの「ナチュラル」じゃないですか」
カーラ・ミアは犬神グループの化粧品メーカーであり、殺生丸は現在そこで調香師として香水の開発などに携わっている。
「ナチュラル」と言うのはバスグッズの新商品で、主原料に天然由来の物を使用しているのが売りの製品である。アレルギー体質の人にも優しいというのが謳い文句で、この手の物には珍しく香りにまで拘り(といっても微香タイプではあるのだが)、現在三種類の香りがある。
「……一式揃ってますね」
シャンプー、コンディショナー、トリートメントにボディシャンプーとソープまで入っている。
どうしてこんな物を、と訊きかけたりんだったが、自分以上に疑問の色を濃く浮かべている志津の顔を見て、その言葉を飲み込んでしまった。
ずっと抱えているのもきついので、一旦テーブルの上にバスケットを置くと、暫し考え込む。何の気なしにソープを手にして匂いを嗅ぐと、柔らかなフローラル系の香りが優しく鼻腔を擽った。
それがきっかけであったかのように、ふとりんの脳裡を過ぎるものがあった。
「……あ、もしかして……」
「何か、心当たりがありましたか?」
ぽつりと呟いたりんに、志津が確認するように訊いてくる。その隣で邪見も、好奇心を隠しきれない様子である。
「……もしかしたら、なんですけど。昨夜、こんな事がありまして……」
念の為に一言前置きすると、りんは二人に昨夜あった事を話し始めた。
小さく欠伸を噛み殺しながら、りんは手探りで台所の電気を点けた。
眩しそうに眼を細めながらも、慣れた様子で冷蔵庫の方へ行って中からミネラルウォーターを取り出す。食器棚からコップを出そうとした矢先、その背に声がかけられた。
「まだ起きていたのか」
その声に弾かれたように振り向くと、台所の入り口に殺生丸が立っていた。どうやら今帰ってきた所らしく、まだスーツ姿のままである。
「あ……お、お帰りなさいませ」
コップを握り締めたまま反射的にそう言って、軽く頭を下げる。
「ああ」
それに軽く応じると、殺生丸は軽く片眉を上げるようにしてりんの方を見やった。
「…………」
殺生丸が何処か物珍しそうに自分の方を見ているのに気づいて、りんは少し気まずい気分になった。
入浴を済ませた後、小テストの為の試験勉強をしていたため、今のりんは(当然の事ながら)制服であるクラシカルなデザインのメイド服ではなくパジャマを着ている。そんなに透けるような生地ではないのだが、雇用主の前に出る時の格好ではないため、やはり落ち着かなかった。
「……試験勉強をしてたので……」
小声でそう言うと、気まずさを振り払うかのように彼の方に向き直って、
「何か召し上がりますか? 志津さんの野菜スープがありますけど」
格好の方はどうしようもないが、態度だけは仕事中のものにしてそう問いかける。
それに対して殺生丸は曖昧な表情で頭を振りかけたが、ふと思い直したように台所の椅子を引いて腰掛けると、
「ハーブティーを淹れてくれ」
そう言ってネクタイを緩めた。
「はい、かしこまりました」
調香師という仕事柄、殺生丸はあまり刺激物を摂らないようにしている。特に今は、新製品の開発中なので、食事内容にも気を遣っているのをりんは思い出した。
やかんに水を入れて火にかけると、ハーブとティーカップの用意をする。お湯が湧くまでの間、手持ち無沙汰に佇んでいるりんを見て、殺生丸は向かいの椅子に座るように促した。
小さく礼を言って腰を下ろしたものの、手持ち無沙汰なのには変わりがなく、また特に話すような事も思いつかない。結果、りんにとっては妙に居心地の悪い沈黙が二人の間に漂う事となった。
間を持たせるように俯いて水を飲んでいるりんを見ていた殺生丸の表情が、不意に何かに気がついたように動いた。僅かに顔を上げて色の薄い眼でりんをじっと見ると、心なしか眉根を寄せて口を開く。
「……違う物を使ったのか?」
「は?」
唐突にかけられた言葉に、りんが間の抜けた声を洩らす。
殺生丸も、言葉が足りなかった自覚はあったのか、再び口を開いた。
「髪の匂いが違う。……「ナチュラル」の、マリンノートだな」
そう言われて、りんは思わず髪に手をやっていた。洗った直後こそそれなりに香ってはいたが、乾いた今ではそれほどでもないというのに、殺生丸には分かったらしい。
「あ、はい。……友達が試供品をくれたので……」
りんが幼少時にアレルギーがあって、香料入りの物を使えなかった、というのは殺生丸も聞いてはいた。今ではもう大丈夫だが、習慣として無香料の物を愛用しているのも知っている。
友人達もそれは知っているのだが、もう大丈夫なのだからたまには、といって試供品をくれたのだという。「ナチュラル」はアレルギー体質の人でも大丈夫、というのが売りの製品であり(もちろん個人差はあるだろうが)、香りも微香タイプだからいいのではないかと思ったのだろう。
りん自身、「ナチュラル」はカーラ・ミア――つまり殺生丸の仕事先の化粧品メーカー――の製品であり、微香タイプであるからあまり気にならないだろうと思ったのだが、彼にとってはそうではなかったのだろうか。
「……あの……お気に障りますか?」
人並み外れて嗅覚が優れている殺生丸は他人のにおいというものに対して神経質な所がある。その為に、新規の使用人を雇い入れるのも容易ではない。りんが知っているだけでも、彼女の前に四人が門前払いを喰わされたのだ。因みにこれは、りんの所属する『武蔵家政婦協会』だけの人数であるから、実際はもっと多いかもしれない。
微香タイプとはいえ、香料入りの物を使ったのが彼の気に障ったのだろうかと、どこかおずおずとりんが問いかけるのにも殺生丸は相変わらず無表情のまま、小声で「別に」と答えただけだった。
その後すぐにお湯が湧いて、りんがお茶の準備に取り掛かったため、その話題はそれまでになった。
「……それだけか?」
「それだけです。……殺生丸さまはお茶を飲んでからお部屋に行かれましたし、私も後片付けをしてから休みましたので」
昨夜のことを思い出しながら、聞き手の二人に解りやすいように話を纏める。
りんの話を聞いて、志津と邪見は顔を見合わせると、深々とため息をついた。何処かしら疲れきったような二人の様子にりんは小首を傾げ、改めてバスグッズ一式の入ったバスケットに眼をやった。
「……これ、頂いてもいいんでしょうか? 物が物だから、使わないともったいないですよねぇ……」
りんがぽつりと洩らした極めて現実的な意見に、邪見が思わずといった様子で額に手を当て、志津は頬をひくりと引きつらせて深いため息をついた。
「それは、りんさんの物ですよ。わたくしたちはそう承りましたから」
これを自分が貰ってもいいのだろうかと迷っているりんに、志津が説得するような口調でそう言うと、漸く納得したように再びバスケットを持ち上げる。
「じゃあ、有難くちょうだいいたします。……着替えてから、すぐに仕事にかかりますね」
そう言ってぱたぱたと出て行くりんを見送って、年配者二人は再び揃ってため息をついた。
何だか良く分からないが、贈り物をされたのは(一応)事実なので、きちんと礼を言わなければと考えるりんであったが、その機会はなかなか訪れなかった。
最近の殺生丸はほぼ毎日午前様のため、りんが学校から帰ってきた後に彼と顔を合わせる機会は無く、朝は朝でそういった事を切り出せるような雰囲気ではない。
殺生丸が帰ってくるまで起きていようかと思ったこともあったのだが、彼の帰宅が極端に遅くなる場合、使用人たちは先に休むように言われているので、新参のりんだけが起きているという訳にもいかなかった。
結局、りんがまともに殺生丸と顔を合わせたのは、その一件から三日後の週末になってからの事であった。
朝からずっと点けっ放しだったノートパソコンの電源を落とすと、殺生丸は軽く目頭を揉み解した。
現在取り掛かっている仕事はかなり大掛かりなもので、しかも日限がいつにも増して厳しいものである為、彼を始めとするスタッフは休日返上でそれに取り組む羽目になっていた。その甲斐もあって、ほぼ完成の段階にまでこぎつける事も出来たのだが、まだ最後の詰めが残っており、ある意味それが一番の難事でもあった。
ソファで一息つくために立ち上がると、ずっと同じ体勢を取っていたせいか、ぎしぎしと筋肉が軋んでいるような気がする。後で気分転換も兼ねて、トレーニングルームで軽く汗を流そうと考えながらソファに深々と身体を沈めると、大きく息を吐いて眼を閉じる。
そうやって視覚を遮断すると、馴染んでいる自分の部屋のにおいまでもがくっきりと感じられる。
基本になっているのは言うまでもなく自分自身のものであるが、それに加えて季節ごとの空気の匂い、部屋の掃除のために入ってくる志津や邪見の残り香さえも、彼の優れた嗅覚は嗅ぎ分けることが出来た。
それは――多少の差異はあるが――本家にいたときから変わる事のない、彼にとっての「日常」のにおいであった。
人並み外れて嗅覚の優れている殺生丸が、その中で寛ぐ事の出来る数少ない匂いのひとつであるのだが、何故かここ暫くその状況が変化してきていた。
何処がどう、とは彼にもはっきりとは判らないのだが、何かが「違う」のだと、そう感じられてならないのだ。
(――何が「違う」というんだ?)
ボタンの掛け違え、という表現があるが、それほど明確なものではないような気がする。
薄く眼を開いて、ぼんやりと考えていると、部屋の扉をノックする音が響いた。志津がお茶を持ってきたらしい。
「失礼致します」
だが、殺生丸の予想に反して、澄んだ声と共に入ってきたのはりんであった。
小ぶりのワゴンを押してソファの脇まで来ると、てきぱきとお茶の準備を始める。その澱みない動作を見ていた殺生丸の鼻腔を柔らかな香りがふわりと擽った。
本人に確認するまでもなく、それが数日前自分が届けさせた物であると彼には判別できた。
「どうぞ」
かたりと小さな音を立てて、ガラステーブルの上に湯気を立てているティーカップとクラッカーが数枚載った小皿が置かれる。
無言のままカップに手を伸ばし、爽やかなレモンの香りのするハーブティーを口にする。自家製のそれは、志津が彼の好みに合わせてブレンドした物で、どういった時にどれを出せばいいのかも心得ていた。
空になったカップを受け皿に戻すと、りんが「お代わりはいかがですか」と訊いて来る。それに軽く頷くと、再びカップにハーブティーが満たされた。それに再度手を伸ばした彼に、りんがおずおずと声をかけてくる。
「……あの、殺生丸さま」
その声に彼女のほうに視線を流すと、りんは白いエプロンの前でもじもじと両手を握り締めながら、心持ち頬に血の色を上らせていた。
「あ……あの、先日はどうも有難うございました」
そう言ってぺこりと頭を下げる。その際に、邪魔にならないようにと後ろで三つ編みにされている髪が軽く跳ね、白い項が視界の隅を掠めた。
その瞬間、殺生丸の裡に僅かな――漣にも似た――熱が生じる。だがそれが白皙の面に表われる事はなく、相変わらずの無表情のまま顔を上げた少女を見つめていた。
「……別に、礼を言われるほどの事ではない」
「そんな事はないです」
殺生丸の返事に、りんが思いの外強い口調で言葉を重ねてくる。
「お気遣いいただいたんですから、お礼を申し上げるのは当然の事です」
「ナチュラル」シリーズを届けさせた事を言っているのは判るが、殺生丸にしてみれば特別に気を遣ったという感覚はなかった。そこで無言のままりんを見返していると、彼女は少しばかり複雑な表情で口を開いた。
「……やっぱり、あの匂い……お気に触ったんですか?」
「……?」
一体何の事かと考え、ややあってからそれが数日前の事を差しているのだと思い至る。釣られてあの時のりんの姿までもが鮮やかに甦ってきて、殺生丸は――他人にはそれと気づかれない程度に――眉を寄せた。
「……気に触ったというほどではない」
わざわざ答えてやる必要もないが、彼女なりに気にしているのは分かるので簡単に説明しておく事にする。
「ただ、合わない匂いをつけている者が側にいるのは落ち着かない。だから、あれを届けさせた。……それだけのことだ」
その答えに、りんが眼を丸くする。
「気に入らないのなら、無理に使わなくてもいい。それこそ、『気を遣う』必要はない」
それだけを言うと、少し冷めたハーブティーを口にする。
実際、殺生丸にとってりんがあのバスグッズ一式を使うかどうかは大した問題ではなかった。彼女自身の本来の体臭は、決して彼にとって不快に感じられるものではなかったからだ。
「いえ、そんな事はないです! ……あの、とても使い心地が良くて、さすがにカーラ・ミアの製品だなぁって思いました」
慌てたようにそう言ってくるりんに、殺生丸は無言で空になったティーカップと小皿を示した。その意味するところに、自分がつい長居をしてしまった事に気づいたりんがはっとしたような表情になった。
「あ……も、申し訳ありません」
再びぺこりと頭を下げると、ティーカップと小皿を片付け始める。最後に軽くテーブルの上を拭いてしまうと、一礼して部屋を出ていった。
りんが出て行った後、殺生丸は再びソファに背を預けた。
つい先程まで感じていた奇妙な違和感は消え、強張っていた身体の芯が解れるような感覚が全身を浸す。
その感覚に、殺生丸は自分が酷く神経質になっていた事を不意に自覚させられた。
何処よりも寛げる場所である筈のこの部屋で、本当に寛げなくなっていた事が、ここ暫くの奇妙な違和感の原因であったのだ。
「……」
殺生丸は無言で額にかかる前髪をかき上げた。
こと感情というものに関する限り、自己分析という奴はあまり得意ではない。
もっとも、分析するまでもなく原因は解りきっていたが。
(……寝間着姿を男に見られても、身の危険を感じないような小娘に、か……)
あの時のりんの動揺は、パジャマ姿を男に見られたという類のものではなく、雇用主の前に出るときの格好ではない、という家政婦としての職業意識によるものであると殺生丸にはすぐに分かった。
もっとも殺生丸自身、りんのパジャマのあまりの色気の無さに、暫し憮然としていたのであるからお互い様ではあるのだが。
(……よりにもよって、カエル柄とはな……)
形の良い唇を苦笑にも似たものが掠める。
当の彼女は、柄に拘る気はないらしく、品物としての良し悪しだけをしきりに強調しており、殺生丸が柄の方を気にしているのに全然気がついてはいなかった。りんにしてみれば、パジャマなど誰に見せる訳でもないのだから、という意識があるのだろう。
(誰に見せるわけでもない、か……)
そう思っているうちは、まだまだ子供である。――少なくとも、殺生丸にとっては。
柔らかな残り香が優しく彼の鼻腔を擽る。
その瞬間、脳裡を過ぎった考えに、殺生丸は興味を覚えたような表情になった。
どの道、誰かに頼まなくてはならないことではあるのだから、彼女に頼んでも不都合は無いであろう。
いまいちはっきりとしない自分の気持に整理をつけるのにも丁度いいかもしれない。
そう結論付けると、仕事の最後の詰めを片付けてしまうために殺生丸は再び机についてパソコンを起動させた。
――殺生丸が新製品の香水のモニターをりんに依頼するのは、この五日後の事である。
≪終≫
-
2005/12/02 |
- パラレル(調香師) |
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- ▲
こちらが一応本編なんですが…
少しばかり自分を追い詰めて、作品を仕上げる気力を奮い立たせてみようかと思いまして…メイドネタの本編を途中までアップしてみる事にしました。
こうしておいたら、続きを書かないとどうしようもないから、何とかなるでしょう(ははは…こういうのを「自分で自分の首を絞める」って言うんだよな…)
それでは、途中までですが、本編の方をどうぞ。
[こちらが一応本編なんですが…] Read More↓
こうしておいたら、続きを書かないとどうしようもないから、何とかなるでしょう(ははは…こういうのを「自分で自分の首を絞める」って言うんだよな…)
それでは、途中までですが、本編の方をどうぞ。
職業意識と感情論
「わぁ、おっきなお屋敷……」
渡された書類を頼りに、仕事先となる家へ向かっていたりんは、その家の前で思わず立ち尽くしていた。
どこか前時代的な雰囲気を漂わせるレトロな西洋館、とでもいうのだろうか。現代建築とは趣の異なる洋館に、これもまた英国風庭園を模したような――それでいて和風な印象もある――庭がしつらえてある。
年頃の少女であれば、思わずうっとりと見入ってしまいそうなものであるが、
「……お掃除とか、大変そう……」
しかし、りんの口から零れたのは、そんな現実的な一言であった。
それも無理はない。
彼女はまだ高校生ではあるが、『武蔵家政婦協会』に属するれっきとした家政婦であり、この大きな屋敷は彼女の仕事場となる(かもしれない)場所であるのだから。
念の為に書類に書かれた名前と表札――これもまた立派な物であった――が一致することを確認して、りんはインターフォンを押した。
「ごめんください、『武蔵家政婦協会』から参りました。鈴川りんと申します」
初老の小柄な男性――執事の邪見と名乗った――に案内されて入った家の中は、意外にも現代風なつくりであった。元々のつくりを生かしつつ、使い勝手がいいように現代風に改築したらしい。
屋敷の奥のほうにあるこぢんまりとした応接室――後でそこが使用人用の応接室だと教えられた――では、中年の女性が待っており、簡単な挨拶と共に条件の確認に入った。
「希望は、長期の場合は住み込みでという事と、高校に通うこと、でしたね」
「はい」
手元の書類をちらりと見ると、志津と名乗った女性は少し考え込むようにしてから口を開いた。
「わたくしたちとしては、長期でお願いしたいので、住み込みや学校の件に関しては構わないのですが……」
「ただ、殺生丸さまが何と仰るかが問題でな」
言いよどむ志津の言葉を引き継ぐように、邪見が疲れたようにそう呟く。志津も、困ったような表情でりんと邪見を交互に見つめていた。
家政婦としては黙っている場面であると弁えてはいたが、りんは思い切って口を開いてみることにした。
「……あの、こちらのご主人さまは、そんなに気難しい方なんですか?」
その問いに、邪見と志津が何とも複雑な表情になる。
「……気難しいというか……」
「難しい、といった方が正確かもしれませんね」
邪見が首を捻るのに、志津が苦笑交じりに答える。
「聞いているとは思いますが、今まで派遣されてきた人は、最終面接で落とされてます」
向き直ってそう言ってくる志津に、りんは「聞いています」と小さく答えた。
実は、りんが思い切って訊いてみたのはその事が気になっていたからだった。りんの前に派遣されてきた人たちは、皆彼女より経験豊富で、家政婦としての実績や評判も確かな人ばかりだったのだ。それにも拘らず、この家の主人による最終面接で落とされた――というより、門前払いといった方が正しいかもしれないが――のだ。もっとも、そういった事がなければ家政婦としてはまだ新米の域にあるりんに順番が回ってくることは無かったであろうが。
「理由は?」
「……いえ、そこまでは……」
りんの返事に、邪見と志津はなんとも複雑な表情で視線を交わして、揃って深いため息をついた。
結局、理由については『お会いすれば分かる』としか聞きだせずに終わり、その後は仕事内容の簡単な説明があっただけだった。
殺生丸が帰宅したのは九時近くになってからのことであった。
出迎えた志津と邪見にスーツの上着と書類鞄を無造作に渡した後、二人の後ろで神妙な面持ちで佇んでいるりんにちらりと眼を向け、ついで志津の方に視線を流す。
「……家政婦協会から派遣されてきた、鈴川りんさんです」
志津がそう紹介するのに合わせて、りんが深々とお辞儀をする。
「『武蔵家政婦協会』から参りました。鈴川りんと申します」
本当なら、ここで『よろしくお願いします』という言葉が続くのであるが、現段階では採用されるかどうか判らないため、名乗るだけに留めておく。
そして顔を上げたりんは、漸く雇用主になるかもしれない男の顔をまともに眼にしたのであった。
帰宅した段階で、思っていたよりずっと若い事にも驚いたが、改めてその容姿を見た時のそれとは比べ物にならなかった。家政婦としての心得を徹底的に叩き込まれていなかったら、ぽかんと口を開けて見惚れてしまった事であろう。
年の頃は二十代後半から三十代そこそこといったところだろう。秀麗、としか形容の仕様が無い、彫りの深い整った顔立ちの中で、薄い色の瞳が鋭くりんを見据えている。背はかなり高く、相手の眼をきちんと見るためには、かなり首を反らさないといけなかった。
「……」
はらはらしながら見守る志津と邪見の目の前で、殺生丸は無言のままりんを上から下まで眺めると、片手でネクタイを緩めながら口を開いた。
「……仕事の内容は明日、志津と邪見から聞くといい。――志津、後で何か軽い物を部屋の方に」
それだけを言うと、用は済ませたとばかりに浴室の方へ向かう。
「……え?」
状況が良く呑みこめずにきょとんとしているりんの横で、大人二人は揃って安堵のため息をついていた。
「……や、やっと、合格者が出たか……」
「……本当に……どうなることかと思いましたが……」
安堵のあまり脱力しきっている二人に、りんが小首を傾げる。
「あの……」
りんの様子に気づいて、志津が笑顔で口を開く。
「合格ですよ、りんさん。よろしくお願いしますね」
「そういう事じゃ。しっかりと頼むぞ」
邪見もにこにこしながら付け加える。
きょとんとしていたりんの顔がみるみるうちに明るいものへと変わり、彼女は元気な声で返事をしていた。
「はい、よろしくお願いします!」
翌日、出勤する主を見送った後、りんは改めて仕事内容の説明を受け、その時になって漸く自分が採用された理由――というか、今までの人が不採用になった理由といった方が正確かもしれないが――を聞かされた。
「…………は?」
聞かされた内容が一瞬理解できずに、思わず間の抜けた声を洩らしてしまう。
「ですからね、理由は『におい』なんですよ」
りんのその反応は予想の範疇に入っていたのか、志津が苦笑しながら繰り返す。
「殺生丸さまは、さっき話したように調香師をしておられる。そのせいで、というか――香道の家元の流れを汲んでおられるから、元々嗅覚は優れておられたが――においには敏感なんじゃ」
「……はい、伺っています」
この屋敷の主人のフルネームは犬神殺生丸。押しも押されぬ大企業である犬神グループの総帥の嫡男である。中心事業は化粧品や薬品の開発であるというくらいは、高校生であるりんでも知っていることであった。
現在の仕事は、中心事業である化粧品会社の調香師(パヒューマー:香水などの調合を行う調香師)である。大学進学をきっかけに本家を出て、彼個人の資産――そう聞かされた段階で、りんは眩暈を起こしそうになった――であるこの屋敷で一人暮らしをしているのだという。ちなみに、志津と邪見は身の回りの世話のために、本家から派遣されてきたそうである。
「だからな、化粧品や香水だけでなく、シャンプーや整髪料などのにおいも気になるらしいんじゃ」
「そういった物のにおいの不調和とかが、とても不快らしいんですよ」
邪見と志津の説明に、りんはただただ呆然としていた。
今まで派遣されてきた人たちが不採用だった理由が、選りにもよって「においが気に入らない」などというものだったとは!
確かに、そういった事情であれば、家政婦としてのキャリアも何もあったものではない。普通の人がそこまで己のにおいについて、色々と考えている筈が無いからだ。
「りんさんは、そういったフレグランス系にこだわりがあるの?」
「え? いえ、そんな事は無いです。むしろその逆で……」
志津の質問にりんはかぶりを振った。その答えに志津が意外そうな表情になる。
「あら、そうなの?」
「はい。石鹸とかシャンプーは無添加の物を使ってますし、コロンとかも使わないので……」
「まあ」
志津の顔がますます不思議そうになる。年頃の娘が、そういったフレグランス系に無関心、というのはかなり珍しいことだからだ。その疑問を察したのか、りんが少し笑って付け加える。
「……小さい頃、ちょっとアレルギーがあって、香料入りの物が使えなかったんです。今は大丈夫なんですが、もう習慣になってて……」
それを聞いて志津は納得した。邪見も合点がいったように頷いている。
つまり、これといって気に障るようなにおいを身に付けていなかったので、主の眼に――この場合は「鼻」かもしれないが――適ったのだろう。
何はともあれ、折角採用が決まった貴重な人材をむざむざと逃すわけにはいかないので、「年頃のお嬢さんにはちょっと申し訳ありませんが」と前置きして念を押しておく。
「なるべく、今後もそうしてもらえますか? 一応、わたくしたちの使う浴室にも無香料の物は置いてありますから」
「はい、分かりました」
こうしてりんの新しい生活は始まった。
〈続〉
*この後に起こるイベントがうまく書けなくて、停滞しています。
まあ、アップした以上は続きを書かないといけないと思ってるので、何とかなるでしょう…(他人事のように…)
「わぁ、おっきなお屋敷……」
渡された書類を頼りに、仕事先となる家へ向かっていたりんは、その家の前で思わず立ち尽くしていた。
どこか前時代的な雰囲気を漂わせるレトロな西洋館、とでもいうのだろうか。現代建築とは趣の異なる洋館に、これもまた英国風庭園を模したような――それでいて和風な印象もある――庭がしつらえてある。
年頃の少女であれば、思わずうっとりと見入ってしまいそうなものであるが、
「……お掃除とか、大変そう……」
しかし、りんの口から零れたのは、そんな現実的な一言であった。
それも無理はない。
彼女はまだ高校生ではあるが、『武蔵家政婦協会』に属するれっきとした家政婦であり、この大きな屋敷は彼女の仕事場となる(かもしれない)場所であるのだから。
念の為に書類に書かれた名前と表札――これもまた立派な物であった――が一致することを確認して、りんはインターフォンを押した。
「ごめんください、『武蔵家政婦協会』から参りました。鈴川りんと申します」
初老の小柄な男性――執事の邪見と名乗った――に案内されて入った家の中は、意外にも現代風なつくりであった。元々のつくりを生かしつつ、使い勝手がいいように現代風に改築したらしい。
屋敷の奥のほうにあるこぢんまりとした応接室――後でそこが使用人用の応接室だと教えられた――では、中年の女性が待っており、簡単な挨拶と共に条件の確認に入った。
「希望は、長期の場合は住み込みでという事と、高校に通うこと、でしたね」
「はい」
手元の書類をちらりと見ると、志津と名乗った女性は少し考え込むようにしてから口を開いた。
「わたくしたちとしては、長期でお願いしたいので、住み込みや学校の件に関しては構わないのですが……」
「ただ、殺生丸さまが何と仰るかが問題でな」
言いよどむ志津の言葉を引き継ぐように、邪見が疲れたようにそう呟く。志津も、困ったような表情でりんと邪見を交互に見つめていた。
家政婦としては黙っている場面であると弁えてはいたが、りんは思い切って口を開いてみることにした。
「……あの、こちらのご主人さまは、そんなに気難しい方なんですか?」
その問いに、邪見と志津が何とも複雑な表情になる。
「……気難しいというか……」
「難しい、といった方が正確かもしれませんね」
邪見が首を捻るのに、志津が苦笑交じりに答える。
「聞いているとは思いますが、今まで派遣されてきた人は、最終面接で落とされてます」
向き直ってそう言ってくる志津に、りんは「聞いています」と小さく答えた。
実は、りんが思い切って訊いてみたのはその事が気になっていたからだった。りんの前に派遣されてきた人たちは、皆彼女より経験豊富で、家政婦としての実績や評判も確かな人ばかりだったのだ。それにも拘らず、この家の主人による最終面接で落とされた――というより、門前払いといった方が正しいかもしれないが――のだ。もっとも、そういった事がなければ家政婦としてはまだ新米の域にあるりんに順番が回ってくることは無かったであろうが。
「理由は?」
「……いえ、そこまでは……」
りんの返事に、邪見と志津はなんとも複雑な表情で視線を交わして、揃って深いため息をついた。
結局、理由については『お会いすれば分かる』としか聞きだせずに終わり、その後は仕事内容の簡単な説明があっただけだった。
殺生丸が帰宅したのは九時近くになってからのことであった。
出迎えた志津と邪見にスーツの上着と書類鞄を無造作に渡した後、二人の後ろで神妙な面持ちで佇んでいるりんにちらりと眼を向け、ついで志津の方に視線を流す。
「……家政婦協会から派遣されてきた、鈴川りんさんです」
志津がそう紹介するのに合わせて、りんが深々とお辞儀をする。
「『武蔵家政婦協会』から参りました。鈴川りんと申します」
本当なら、ここで『よろしくお願いします』という言葉が続くのであるが、現段階では採用されるかどうか判らないため、名乗るだけに留めておく。
そして顔を上げたりんは、漸く雇用主になるかもしれない男の顔をまともに眼にしたのであった。
帰宅した段階で、思っていたよりずっと若い事にも驚いたが、改めてその容姿を見た時のそれとは比べ物にならなかった。家政婦としての心得を徹底的に叩き込まれていなかったら、ぽかんと口を開けて見惚れてしまった事であろう。
年の頃は二十代後半から三十代そこそこといったところだろう。秀麗、としか形容の仕様が無い、彫りの深い整った顔立ちの中で、薄い色の瞳が鋭くりんを見据えている。背はかなり高く、相手の眼をきちんと見るためには、かなり首を反らさないといけなかった。
「……」
はらはらしながら見守る志津と邪見の目の前で、殺生丸は無言のままりんを上から下まで眺めると、片手でネクタイを緩めながら口を開いた。
「……仕事の内容は明日、志津と邪見から聞くといい。――志津、後で何か軽い物を部屋の方に」
それだけを言うと、用は済ませたとばかりに浴室の方へ向かう。
「……え?」
状況が良く呑みこめずにきょとんとしているりんの横で、大人二人は揃って安堵のため息をついていた。
「……や、やっと、合格者が出たか……」
「……本当に……どうなることかと思いましたが……」
安堵のあまり脱力しきっている二人に、りんが小首を傾げる。
「あの……」
りんの様子に気づいて、志津が笑顔で口を開く。
「合格ですよ、りんさん。よろしくお願いしますね」
「そういう事じゃ。しっかりと頼むぞ」
邪見もにこにこしながら付け加える。
きょとんとしていたりんの顔がみるみるうちに明るいものへと変わり、彼女は元気な声で返事をしていた。
「はい、よろしくお願いします!」
翌日、出勤する主を見送った後、りんは改めて仕事内容の説明を受け、その時になって漸く自分が採用された理由――というか、今までの人が不採用になった理由といった方が正確かもしれないが――を聞かされた。
「…………は?」
聞かされた内容が一瞬理解できずに、思わず間の抜けた声を洩らしてしまう。
「ですからね、理由は『におい』なんですよ」
りんのその反応は予想の範疇に入っていたのか、志津が苦笑しながら繰り返す。
「殺生丸さまは、さっき話したように調香師をしておられる。そのせいで、というか――香道の家元の流れを汲んでおられるから、元々嗅覚は優れておられたが――においには敏感なんじゃ」
「……はい、伺っています」
この屋敷の主人のフルネームは犬神殺生丸。押しも押されぬ大企業である犬神グループの総帥の嫡男である。中心事業は化粧品や薬品の開発であるというくらいは、高校生であるりんでも知っていることであった。
現在の仕事は、中心事業である化粧品会社の調香師(パヒューマー:香水などの調合を行う調香師)である。大学進学をきっかけに本家を出て、彼個人の資産――そう聞かされた段階で、りんは眩暈を起こしそうになった――であるこの屋敷で一人暮らしをしているのだという。ちなみに、志津と邪見は身の回りの世話のために、本家から派遣されてきたそうである。
「だからな、化粧品や香水だけでなく、シャンプーや整髪料などのにおいも気になるらしいんじゃ」
「そういった物のにおいの不調和とかが、とても不快らしいんですよ」
邪見と志津の説明に、りんはただただ呆然としていた。
今まで派遣されてきた人たちが不採用だった理由が、選りにもよって「においが気に入らない」などというものだったとは!
確かに、そういった事情であれば、家政婦としてのキャリアも何もあったものではない。普通の人がそこまで己のにおいについて、色々と考えている筈が無いからだ。
「りんさんは、そういったフレグランス系にこだわりがあるの?」
「え? いえ、そんな事は無いです。むしろその逆で……」
志津の質問にりんはかぶりを振った。その答えに志津が意外そうな表情になる。
「あら、そうなの?」
「はい。石鹸とかシャンプーは無添加の物を使ってますし、コロンとかも使わないので……」
「まあ」
志津の顔がますます不思議そうになる。年頃の娘が、そういったフレグランス系に無関心、というのはかなり珍しいことだからだ。その疑問を察したのか、りんが少し笑って付け加える。
「……小さい頃、ちょっとアレルギーがあって、香料入りの物が使えなかったんです。今は大丈夫なんですが、もう習慣になってて……」
それを聞いて志津は納得した。邪見も合点がいったように頷いている。
つまり、これといって気に障るようなにおいを身に付けていなかったので、主の眼に――この場合は「鼻」かもしれないが――適ったのだろう。
何はともあれ、折角採用が決まった貴重な人材をむざむざと逃すわけにはいかないので、「年頃のお嬢さんにはちょっと申し訳ありませんが」と前置きして念を押しておく。
「なるべく、今後もそうしてもらえますか? 一応、わたくしたちの使う浴室にも無香料の物は置いてありますから」
「はい、分かりました」
こうしてりんの新しい生活は始まった。
〈続〉
*この後に起こるイベントがうまく書けなくて、停滞しています。
まあ、アップした以上は続きを書かないといけないと思ってるので、何とかなるでしょう…(他人事のように…)
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2005/11/11 |
- パラレル(調香師) |
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メイドネタ(後日談)
よ、漸く終わりました。(ぐったり)
ここ数日鼻炎の発作で意識が朦朧としていたせいか、ふと気がつくと、とても表には置けない代物になりかけていたり、と中々に難物でしたが、何とか終わりました。
お待ち頂いて下さった方には、些か拍子抜けする代物に仕上がってしまいましたが…公開ブログではこの位が限度かと…
*注意!*
・原作設定以外は嫌だ、という方は読まれない方がいいです。
・この話は「メイド企画」に投稿した小説の後日談です。先にそちらを読まれて下さい。(企画HPにはリンクの「メイド募集中」より飛べます)
※ 企画は終了しました。作品は当ブログに移動済みです。
・大したものではありませんが、微妙に艶要素(性的表現)を含みますので、そういうのが苦手な方、嫌悪感を覚える方は読まれないで下さい。
「問題なし! 大丈夫♪」という方は、「続きを読む」よりどうぞ。
[メイドネタ(後日談)] Read More↓
ここ数日鼻炎の発作で意識が朦朧としていたせいか、ふと気がつくと、とても表には置けない代物になりかけていたり、と中々に難物でしたが、何とか終わりました。
お待ち頂いて下さった方には、些か拍子抜けする代物に仕上がってしまいましたが…公開ブログではこの位が限度かと…
*注意!*
・原作設定以外は嫌だ、という方は読まれない方がいいです。
・この話は「メイド企画」に投稿した小説の後日談です。先にそちらを読まれて下さい。(企画HPにはリンクの「メイド募集中」より飛べます)
※ 企画は終了しました。作品は当ブログに移動済みです。
・大したものではありませんが、微妙に艶要素(性的表現)を含みますので、そういうのが苦手な方、嫌悪感を覚える方は読まれないで下さい。
「問題なし! 大丈夫♪」という方は、「続きを読む」よりどうぞ。
ストレス解消?(この話は『メイド企画』の現代版の後日談です)
「……りん、これは何だ」
ある土曜日の午後、殺生丸はお茶と一緒に出された物を見て僅かに眉を寄せた。
ガラステーブルの上に置かれた白磁に黒と金で縁取りをされたティーカップの脇に、同じ模様の小皿が置かれ、その上にアルファベットのロゴの入った焦茶色の塊が四つ載せられている。
「チョコレートです」
「…………」
そんな事は分かっている。
問題は、何故こんな物が午後のお茶と一緒に出されているのかということだ。
問いかけるような殺生丸の眼差しに、りんはソファの脇に立ったまま話し始めた。
「殺生丸さま、ここのところずっとお忙しかったでしょう?」
確かに、去年の秋のように、休日返上で仕事に取り組んでいるという程ではないが、残業続きで中々その日の内に帰宅できない日が続いてはいる。嗅覚と言うのは、体調によって左右されやすいものであるから、度を越した不摂生をする事は無いが、それでも午前様である事には変わりない。
「甘い物が苦手なのは存じてますが、チョコレートにはストレスにいい成分が含まれているそうですから」
そう言いながら、少し身を屈めて殺生丸の顔を覗きこんでくる。
「ビターだから、そんなに甘くないと思うんですけど……」
りんの言葉に、殺生丸は再びちらりと皿の上の菓子に眼をやった。
チョコレートに入っているロゴを見れば、これが欧州の有名メーカーの品物である事は判る。俗に、日本のバレンタインデーにおいて、『本命チョコ』の定番とされているメーカーである事くらいは、殺生丸も知識として知ってはいた。
チョコレートにはストレスを和らげる効果がある、という事を何かで知って、忙しい日々を送っている殺生丸の為にりんがわざわざ購入してきたのであろう。ビターチョコを選んだのは、甘い物を好まない彼に対する気遣いであることは言うまでもない。
そういったりんの心遣いは良く解るし、それ自体は好ましいと思ってはいても、殺生丸はこう答えるしかなかった。
「……私はこういった物は口にしない」
案の定、殺生丸の答えにりんが少し拗ねたような表情になる。
家政婦としてはあるまじき反応であるが、二人の関係が雇用主と使用人という関係だけで括れなくなってきている事を考えたら、それも無理はなかった。
現在の二人の関係は、家族公認の――といってもりんは天涯孤独の身だから殺生丸の側だけだが――婚約者同士というものであるのだから。
普段は公私混同はしない、ということになっているため、日頃は雇用主と使用人という枠組みから逸脱する事はないが、休日の午後という事で少し箍を緩めているらしい。
「……でも、」
「チョコレートは刺激物だ。――だから口にしないようにしている」
その言葉にりんがはっとしたような表情になる。
調香師という仕事柄、彼が刺激物を極力避けているのは理解しているつもりだったのだが、まだまだ認識が甘かったらしい。
「……申し訳ありませんでした……」
珈琲などを避けているのは知っていたが、日頃は甘い物など全くと言っていいほど口にしない男であるため、菓子類については何を避けたらいいのかという事は聞いていなかったのだ。ただ弁明の余地があるとするならば、昨今はチョコレートの有効成分についてばかりが取り沙汰されているため、チョコレートが刺激物である事を知っている人は少ないという事であろうか。
りんは内心でため息をつきながら、小皿に載ったチョコレートを眺めた。
ここの所忙しくしていた殺生丸のために、(値段を見て回れ右しそうになりながらも)思いきって買ってきたのだが、結局は自分で食べる事になりそうだ。
(……こんな事なら、ビターチョコにするんじゃなかった……)
思わずそんな事を考えながら、小皿を片付けようとしたりんの手首を、不意に伸ばされた殺生丸の手が掴んだ。「え?」と思う間もなくぐいと強く引かれ、空いたほうの手が腰に回されて更に引き寄せられる。
「……ちょ、ちょっと、殺生丸さま。何するんですかっ!?」
見事なまでの早業でソファに座った殺生丸の膝の上に抱えられたりんが、慌てて身を捩って体勢を立て直そうとするが、背後から彼女を捕まえている男の腕が緩む事はなかった。
「わ……私は今、仕事中ですっ」
「……そうだな」
強く抱き寄せられているため、服越しとはいえ、背中に殺生丸の逞しい体の感触が伝わってきて、りんの全身がかっと熱くなる。
「こ、公私混同はしないって、奥様や竜胆さまと約束して……」
声が上ずるのを感じながらも、何とか腰に回された腕を外そうとするが、次の瞬間、うなじに押し当てられた唇の感触に全身がびくりと震えた。
「……あ」
思わず洩れた声の甘さに、背後で殺生丸がくすりと笑う気配が伝わってきて、りんの頬にますます血が上る。
「今日は土曜だ」
「で……でも、仕事が……」
真っ赤になって抗議するが、首筋を這う濡れた感触に身体が竦みあがり、その隙を衝くかのように腰に回されていた手が動かされ、明確な意図を持って脇腹のあたりを撫で上げる。
「……あ、やぁ…っ……」
びくりと肩を跳ね上げたりんの首筋に顔を埋め、ワンピースのファスナーを唇で探ると、歯で咥えて引き下ろす。露になった細い首筋には繊細な作りのプラチナの鎖がかけられており、殺生丸がそれを咥えて軽く引くと、それに通された細身の指輪がちらりと見えた。
「……休日には、しておくようにと言った筈だが」
ハーブティーが出された時に彼女の手に指輪がないのは見ていたが、あえてそう口に出すと、りんが真っ赤な顔のままぽつりと言い返してきた。
「だ、だって……仕事中は外さないと……傷が入るかもしれないし……」
「……トパーズもトルマリンも硬度は高い方だ。そう神経質になる必要はない」
そう言っている間も手は動いており、背の半ばまでファスナーを下ろすと、そこから直に素肌に触れてくる。
「……で、でも……」
尚もこの状況から逃げ出そうとしているりんの態度が気にいらず、殺生丸は軽く身を屈めると置かれたままの小皿に手を伸ばして、チョコレートを一つ取り上げた。
「?」
彼の意図が読めずに一瞬きょとんとなった隙を衝いて、殺生丸の指先がりんの口の中にチョコレートを押し込んでくる。
「……! ……な、何を……んくっ……」
チョコレートを押し込んだ指先がそのまま口内に入り込んでかき回すように動かされる。りんが抗議するように歯を立ててくるのにも構わずに、深く挿し入れて口腔内を指で探った。
口の中のチョコレートが完全に溶けたのを指先で感じ取ると、殺生丸は漸くりんの口内から指を抜いた。
「……は…ぁ……」
華奢な身体から力が抜けて、くたりと凭れかかってくる。殺生丸は薄く笑みを浮かべると、腕の中のりんの髪をかき上げて赤く染まった耳を露にし、そこに唇を寄せた。
「………で、今日は『休日』だったな?」
柔らかく耳朶を食まれながら、腰砕けの美声で囁かれた言葉に、りんは頬を赤く染めたままこくりと頷いた。
「……りんさん、遅いですねぇ」
台所でお茶の時間を過ごしていた志津が、ちらりと時計を見上げる。
りんが殺生丸の所にお茶を持って行ってから、既に二時間近く経っている。
「ここの所、試験とかで、あまり一緒に過ごしてなかったからな。話し込んでおるんじゃろうて」
同じく紅茶を飲みながら、邪見がそう答える。
仕事仲間の少女が(多少の紆余曲折はあったものの)、彼らの主人と婚約した事は、年配者二人にとっても概ね喜ばしい事ではあった。
何しろ――年齢的にそれなりに女性との付き合いはあったものの――あの主の人嫌いと来たら、度を越しているとしか言いようがなく、このままでは彼が一家の主になる姿など、一生拝めないのではないかと思っていただけに、二人の喜びは大きかったのである。
りんが十六夜や竜胆(殺生丸の実母)のいう事をきちんと聞き分けて、日頃は公私混同をしようとしないのも二人の目には好ましく映っていた。
「そうですね。殺生丸さまも今週はお忙しかったし、りんさんは試験がありましたからね」
夕食の後片付けを済ませ、その日の仕事が一通り終わった後の僅かな時間に、りんが殺生丸にお茶を出して一緒に過ごすのが常であるのだが、今週は二人とも忙しかったためそれも出来なかったのだ。
志津と邪見がお茶の片づけをしていると、台所の内線が鳴った。
「はい。……はい、分かりました。でしたら、夕食は外で食べるということでよろしいんですね? ……はい、かしこまりました」
短いやり取りの後、志津が受話器を置くと、
「何じゃ、外食されるのか?」
「ええ、もう少ししたらりんさんを連れて出かけるそうです」
「……今日は戻られるのか?」
「今日は外泊はなさらないそうですよ。……少しくらいは遅くなるかもしれませんけど」
あきらかにそうは思っていない口調で訊かれて、志津は苦笑交じりに答えた。
机の脇にコードレスの受話器を置くと、殺生丸は額にかかる前髪を軽くかき上げた。汗ばんだ額に髪が張り付き、肌蹴たシャツの胸元から覗く素肌も情事の余韻を残して薄く色づいている。
「先にシャワーを使うか?」
ソファの方を振り返ってそう声をかけると、ソファの影から掠れた声で返事が返ってきた。
「……後でいいです」
それと同時に、もそもそと身じろぐ気配がする。
殺生丸がソファの背に手をかけて覗き込むと、横たわっていたりんが身体を起こそうとしている所だった。ワンピースのファスナーが最後まで下ろされているため、背中の殆どが露になっており、ブラジャーのホックが外れているのが見えた。正面から見たら殆ど普段と変わる事はないが、日頃はぴんと糊の利いているエプロンがしわくちゃになっている。スカートも捲りあげられて、白い足が覗いていた。なまじ完全に脱がされていないだけ、濃紺のクラシカルなメイド服と白い肌との対比が目立つ。
後ろ手でファスナーを上げようとするのを軽く腕を押さえて止めると、りんがきょとんとした顔で見上げてくる。目許は先程までの情事の余韻のせいでほんのりと紅く染まっているが、表情だけはどこか幼さを残している。
「そのままでいい」
「……は?」
殺生丸を見上げたままきょとんとしているりんの横に回り込むと、ソファに浅く腰を下ろす格好になっている彼女の背中と膝裏に腕を回して軽々と抱き上げる。
「え? あ……あの、殺生丸さま?」
「一度に済ませたほうが時間の短縮になる」
「は? ……って、ちょっと、待ってくださいっ」
そのまま彼女を抱えて部屋の隅にあるシャワールームに向かおうとする殺生丸に、りんが慌てたようにじたばたと抵抗する。
「……捲れるぞ」
ちらりと足の方に眼をやってそう言うと、りんがはっとしたようにスカートの裾を両手で抑える。その間に、殺生丸はさっさとシャワールームに入っていた。
元々この部屋には、簡易洗面台程度の水回りが備え付けられている続きの小部屋があったのだが、殺生丸がこの屋敷を相続した時に、そこをシャワールームとして改築したのだ。元々がそれほど広くはなかったから、シャワーが備え付けてあるだけの狭い部屋だが、仕事が忙しい時などにはいちいち一階の浴室に行かなくてもいいので、それなりに重宝はしていた。
しかし、いくらりんが小柄な方であると言っても、二人で入るには狭すぎるため、りんの抗議する声が時折聞こえてくる。それに、宥めるような殺生丸の声が被さるが、シャワーの水音に紛れて段々とそれも聞き取り辛くなってくる。
――二人が身支度を整えて出かけるのは、もう少し後の事になりそうだった。
〈終〉
「……りん、これは何だ」
ある土曜日の午後、殺生丸はお茶と一緒に出された物を見て僅かに眉を寄せた。
ガラステーブルの上に置かれた白磁に黒と金で縁取りをされたティーカップの脇に、同じ模様の小皿が置かれ、その上にアルファベットのロゴの入った焦茶色の塊が四つ載せられている。
「チョコレートです」
「…………」
そんな事は分かっている。
問題は、何故こんな物が午後のお茶と一緒に出されているのかということだ。
問いかけるような殺生丸の眼差しに、りんはソファの脇に立ったまま話し始めた。
「殺生丸さま、ここのところずっとお忙しかったでしょう?」
確かに、去年の秋のように、休日返上で仕事に取り組んでいるという程ではないが、残業続きで中々その日の内に帰宅できない日が続いてはいる。嗅覚と言うのは、体調によって左右されやすいものであるから、度を越した不摂生をする事は無いが、それでも午前様である事には変わりない。
「甘い物が苦手なのは存じてますが、チョコレートにはストレスにいい成分が含まれているそうですから」
そう言いながら、少し身を屈めて殺生丸の顔を覗きこんでくる。
「ビターだから、そんなに甘くないと思うんですけど……」
りんの言葉に、殺生丸は再びちらりと皿の上の菓子に眼をやった。
チョコレートに入っているロゴを見れば、これが欧州の有名メーカーの品物である事は判る。俗に、日本のバレンタインデーにおいて、『本命チョコ』の定番とされているメーカーである事くらいは、殺生丸も知識として知ってはいた。
チョコレートにはストレスを和らげる効果がある、という事を何かで知って、忙しい日々を送っている殺生丸の為にりんがわざわざ購入してきたのであろう。ビターチョコを選んだのは、甘い物を好まない彼に対する気遣いであることは言うまでもない。
そういったりんの心遣いは良く解るし、それ自体は好ましいと思ってはいても、殺生丸はこう答えるしかなかった。
「……私はこういった物は口にしない」
案の定、殺生丸の答えにりんが少し拗ねたような表情になる。
家政婦としてはあるまじき反応であるが、二人の関係が雇用主と使用人という関係だけで括れなくなってきている事を考えたら、それも無理はなかった。
現在の二人の関係は、家族公認の――といってもりんは天涯孤独の身だから殺生丸の側だけだが――婚約者同士というものであるのだから。
普段は公私混同はしない、ということになっているため、日頃は雇用主と使用人という枠組みから逸脱する事はないが、休日の午後という事で少し箍を緩めているらしい。
「……でも、」
「チョコレートは刺激物だ。――だから口にしないようにしている」
その言葉にりんがはっとしたような表情になる。
調香師という仕事柄、彼が刺激物を極力避けているのは理解しているつもりだったのだが、まだまだ認識が甘かったらしい。
「……申し訳ありませんでした……」
珈琲などを避けているのは知っていたが、日頃は甘い物など全くと言っていいほど口にしない男であるため、菓子類については何を避けたらいいのかという事は聞いていなかったのだ。ただ弁明の余地があるとするならば、昨今はチョコレートの有効成分についてばかりが取り沙汰されているため、チョコレートが刺激物である事を知っている人は少ないという事であろうか。
りんは内心でため息をつきながら、小皿に載ったチョコレートを眺めた。
ここの所忙しくしていた殺生丸のために、(値段を見て回れ右しそうになりながらも)思いきって買ってきたのだが、結局は自分で食べる事になりそうだ。
(……こんな事なら、ビターチョコにするんじゃなかった……)
思わずそんな事を考えながら、小皿を片付けようとしたりんの手首を、不意に伸ばされた殺生丸の手が掴んだ。「え?」と思う間もなくぐいと強く引かれ、空いたほうの手が腰に回されて更に引き寄せられる。
「……ちょ、ちょっと、殺生丸さま。何するんですかっ!?」
見事なまでの早業でソファに座った殺生丸の膝の上に抱えられたりんが、慌てて身を捩って体勢を立て直そうとするが、背後から彼女を捕まえている男の腕が緩む事はなかった。
「わ……私は今、仕事中ですっ」
「……そうだな」
強く抱き寄せられているため、服越しとはいえ、背中に殺生丸の逞しい体の感触が伝わってきて、りんの全身がかっと熱くなる。
「こ、公私混同はしないって、奥様や竜胆さまと約束して……」
声が上ずるのを感じながらも、何とか腰に回された腕を外そうとするが、次の瞬間、うなじに押し当てられた唇の感触に全身がびくりと震えた。
「……あ」
思わず洩れた声の甘さに、背後で殺生丸がくすりと笑う気配が伝わってきて、りんの頬にますます血が上る。
「今日は土曜だ」
「で……でも、仕事が……」
真っ赤になって抗議するが、首筋を這う濡れた感触に身体が竦みあがり、その隙を衝くかのように腰に回されていた手が動かされ、明確な意図を持って脇腹のあたりを撫で上げる。
「……あ、やぁ…っ……」
びくりと肩を跳ね上げたりんの首筋に顔を埋め、ワンピースのファスナーを唇で探ると、歯で咥えて引き下ろす。露になった細い首筋には繊細な作りのプラチナの鎖がかけられており、殺生丸がそれを咥えて軽く引くと、それに通された細身の指輪がちらりと見えた。
「……休日には、しておくようにと言った筈だが」
ハーブティーが出された時に彼女の手に指輪がないのは見ていたが、あえてそう口に出すと、りんが真っ赤な顔のままぽつりと言い返してきた。
「だ、だって……仕事中は外さないと……傷が入るかもしれないし……」
「……トパーズもトルマリンも硬度は高い方だ。そう神経質になる必要はない」
そう言っている間も手は動いており、背の半ばまでファスナーを下ろすと、そこから直に素肌に触れてくる。
「……で、でも……」
尚もこの状況から逃げ出そうとしているりんの態度が気にいらず、殺生丸は軽く身を屈めると置かれたままの小皿に手を伸ばして、チョコレートを一つ取り上げた。
「?」
彼の意図が読めずに一瞬きょとんとなった隙を衝いて、殺生丸の指先がりんの口の中にチョコレートを押し込んでくる。
「……! ……な、何を……んくっ……」
チョコレートを押し込んだ指先がそのまま口内に入り込んでかき回すように動かされる。りんが抗議するように歯を立ててくるのにも構わずに、深く挿し入れて口腔内を指で探った。
口の中のチョコレートが完全に溶けたのを指先で感じ取ると、殺生丸は漸くりんの口内から指を抜いた。
「……は…ぁ……」
華奢な身体から力が抜けて、くたりと凭れかかってくる。殺生丸は薄く笑みを浮かべると、腕の中のりんの髪をかき上げて赤く染まった耳を露にし、そこに唇を寄せた。
「………で、今日は『休日』だったな?」
柔らかく耳朶を食まれながら、腰砕けの美声で囁かれた言葉に、りんは頬を赤く染めたままこくりと頷いた。
「……りんさん、遅いですねぇ」
台所でお茶の時間を過ごしていた志津が、ちらりと時計を見上げる。
りんが殺生丸の所にお茶を持って行ってから、既に二時間近く経っている。
「ここの所、試験とかで、あまり一緒に過ごしてなかったからな。話し込んでおるんじゃろうて」
同じく紅茶を飲みながら、邪見がそう答える。
仕事仲間の少女が(多少の紆余曲折はあったものの)、彼らの主人と婚約した事は、年配者二人にとっても概ね喜ばしい事ではあった。
何しろ――年齢的にそれなりに女性との付き合いはあったものの――あの主の人嫌いと来たら、度を越しているとしか言いようがなく、このままでは彼が一家の主になる姿など、一生拝めないのではないかと思っていただけに、二人の喜びは大きかったのである。
りんが十六夜や竜胆(殺生丸の実母)のいう事をきちんと聞き分けて、日頃は公私混同をしようとしないのも二人の目には好ましく映っていた。
「そうですね。殺生丸さまも今週はお忙しかったし、りんさんは試験がありましたからね」
夕食の後片付けを済ませ、その日の仕事が一通り終わった後の僅かな時間に、りんが殺生丸にお茶を出して一緒に過ごすのが常であるのだが、今週は二人とも忙しかったためそれも出来なかったのだ。
志津と邪見がお茶の片づけをしていると、台所の内線が鳴った。
「はい。……はい、分かりました。でしたら、夕食は外で食べるということでよろしいんですね? ……はい、かしこまりました」
短いやり取りの後、志津が受話器を置くと、
「何じゃ、外食されるのか?」
「ええ、もう少ししたらりんさんを連れて出かけるそうです」
「……今日は戻られるのか?」
「今日は外泊はなさらないそうですよ。……少しくらいは遅くなるかもしれませんけど」
あきらかにそうは思っていない口調で訊かれて、志津は苦笑交じりに答えた。
机の脇にコードレスの受話器を置くと、殺生丸は額にかかる前髪を軽くかき上げた。汗ばんだ額に髪が張り付き、肌蹴たシャツの胸元から覗く素肌も情事の余韻を残して薄く色づいている。
「先にシャワーを使うか?」
ソファの方を振り返ってそう声をかけると、ソファの影から掠れた声で返事が返ってきた。
「……後でいいです」
それと同時に、もそもそと身じろぐ気配がする。
殺生丸がソファの背に手をかけて覗き込むと、横たわっていたりんが身体を起こそうとしている所だった。ワンピースのファスナーが最後まで下ろされているため、背中の殆どが露になっており、ブラジャーのホックが外れているのが見えた。正面から見たら殆ど普段と変わる事はないが、日頃はぴんと糊の利いているエプロンがしわくちゃになっている。スカートも捲りあげられて、白い足が覗いていた。なまじ完全に脱がされていないだけ、濃紺のクラシカルなメイド服と白い肌との対比が目立つ。
後ろ手でファスナーを上げようとするのを軽く腕を押さえて止めると、りんがきょとんとした顔で見上げてくる。目許は先程までの情事の余韻のせいでほんのりと紅く染まっているが、表情だけはどこか幼さを残している。
「そのままでいい」
「……は?」
殺生丸を見上げたままきょとんとしているりんの横に回り込むと、ソファに浅く腰を下ろす格好になっている彼女の背中と膝裏に腕を回して軽々と抱き上げる。
「え? あ……あの、殺生丸さま?」
「一度に済ませたほうが時間の短縮になる」
「は? ……って、ちょっと、待ってくださいっ」
そのまま彼女を抱えて部屋の隅にあるシャワールームに向かおうとする殺生丸に、りんが慌てたようにじたばたと抵抗する。
「……捲れるぞ」
ちらりと足の方に眼をやってそう言うと、りんがはっとしたようにスカートの裾を両手で抑える。その間に、殺生丸はさっさとシャワールームに入っていた。
元々この部屋には、簡易洗面台程度の水回りが備え付けられている続きの小部屋があったのだが、殺生丸がこの屋敷を相続した時に、そこをシャワールームとして改築したのだ。元々がそれほど広くはなかったから、シャワーが備え付けてあるだけの狭い部屋だが、仕事が忙しい時などにはいちいち一階の浴室に行かなくてもいいので、それなりに重宝はしていた。
しかし、いくらりんが小柄な方であると言っても、二人で入るには狭すぎるため、りんの抗議する声が時折聞こえてくる。それに、宥めるような殺生丸の声が被さるが、シャワーの水音に紛れて段々とそれも聞き取り辛くなってくる。
――二人が身支度を整えて出かけるのは、もう少し後の事になりそうだった。
〈終〉
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2005/10/26 |
- パラレル(調香師) |
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