読切(原作)
第2弾
7月に某所で行われていたチャット会にて、隻腕の兄のお着替え事情についての話題が出ました。そこでふと思いついたネタです。
妖怪の説明については、昔読んだ妖怪図鑑からのうろ覚えの知識と、後創作用に作った部分がありますので、鵜呑みにはしないで下さいね。
[第2弾] Read More↓
妖怪の説明については、昔読んだ妖怪図鑑からのうろ覚えの知識と、後創作用に作った部分がありますので、鵜呑みにはしないで下さいね。
小袖の手
刀鍛冶が去った後、木立ちの中へと歩み去った殺生丸の後姿を見送りながら、りんは「ねえねえ」と邪見の着物の袖を引っ張った。
「殺生丸さま、何しに行ったの?」
「身形を整えに行かれたに決まっておろうが」
「……お着替えするの?」
「まあ、そんなところじゃ」
ふうんと納得しながら、ふと気がついたように邪見に問いかける。
「邪見さま、殺生丸さまのお着替えのお手伝いしないの?」
りんの質問に、邪見が呆れたように彼女を見上げる。
「わしの背丈で、殺生丸さまのお召し変えのお手伝いが出来るわけないじゃろうが」
確かにその通りである。
しかしそうなると、いったいどうやって着替えているのだろうか。今更言うまでもないが、彼は隻腕である。そして、着物や袴といったものは、片手で着脱するには――脱ぐ分には何とかなるかもしれないが――かなり無理のある代物なのだ。
りんが殺生丸の一行に加わってそれなりの月日が経っているが、彼女がそういった疑問を抱いたことは今まで無かった。
ある意味間の抜けた話であるが、それも無理はなかったかもしれない。まめに着物を洗ったり、繕ったりしなければならないりんと違って、殺生丸の装いはいつも整っていたからだ。戦闘の後などは流石に少し乱れた感じになるが、それもいつの間にか整えられているのが常であった。
殺生丸は大妖怪であり、身に付けているものも妖怪の手になる物であるから、人間の使うそれとは違うのだろうと漠然と思っていたのだが、妖怪であろうと人間であろうと、着替えるときには帯や紐を締めたり結んだりしなければならないことには変わりない。
「でも、帯とか一人で大丈夫なの?」
「殺生丸さまは大妖怪じゃぞ。そのくらいの事、何でもないわ」
妖力でそのくらいは簡単だと仄めかすが、りんには今ひとつ飲み込めないらしく、小首を傾げている。
「……それにな、殺生丸さまのお召し物には、『小袖の手』が憑けてあるから、問題は無いんじゃ」
もう少し解りやすいように言ってやるか、と思ってそう言うと、りんの顔が更にきょとんとしたものになる。
「……こそでのて?」
明らかに理解してない口調でそう繰り返すのに、邪見が呆れたような顔になるが、考えてみれば普通の人間が知っている筈も無いものの事ではある。
「『小袖の手』というのは、まあ……妖怪の一種じゃな。代々受け継がれた着物などに精が宿って生じた手だけの妖怪で、着付けなどを手伝ったりするんじゃ」
気を取り直して、簡単に説明してやると、りんが感心したように眼を瞬かせる。
「へえ、便利な妖怪さんなんだね。……あれ? じゃあ、殺生丸さまの着物って、おとうやおじいちゃんのお古なの?」
「馬鹿な事を言うでないっ、殺生丸さまのお召し物が古着などである筈が無いじゃろうが!」
「え? でも、古い着物の妖怪さんなんでしょ?」
大真面目にそう訊いてくるりんに、思わず肩を落としてしまう邪見であった。
子供らしいと言えばそうなのだが、『小袖の手』の説明の方に気を取られて、その前に話した事が意識の外に追いやられてしまったらしい。
「……あのな、さっき『憑けてある』と言ったじゃろうが。妖怪の着物なら、新しい物でもいいんじゃ」
「ふうん、そうなんだ」
納得したように頷いて、殺生丸が向かった先に眼をやる。そんな彼女には構わずに、邪見は滔々と説明を続けていた。
「……しかし、殺生丸さまほどの御方のお世話を申し付けるのじゃから、そんじょそこらの雑魚を使うわけにはいかん。ああいった者の中でも、特に優れたものを選び出して憑けておる。着付けだけでなく、ある程度、自力での再生も可能なくらい妖力の強いものをな。だから、殺生丸さまのお召し物はつねにきちんとしておられる。人間の着物から生じた連中なんぞとは比べもんにならん。
りん、お前もおなごの端くれなのじゃから、少しは殺生丸さまを見習って身形に気を遣うといった事を覚えた方が……って、おい、りん? 何処へ行ったんじゃ?」
薀蓄を語っているうちに、りんへのお小言が邪見の口をついて出てきて、彼女の方に顔を向けるが、既にりんはその場にはいなかった。
邪見が説明に夢中になっている間に、りんはそっとその場から離れて殺生丸を探しに木立ちの中へと走っていった。
急げば『小袖の手』とやらが、殺生丸に着物を着せているところを見られるかもしれない。
(着物から手が生えてるって、どんなんだろう? ……やっぱり袖のところから生えてるのかな?)
邪見の説明を聞いているうちに、りんはその『小袖の手』という妖怪が見たくて見たくて堪らなくなってきたのだ。
子供らしい好奇心に駆られ、彼の姿を探していると、まもなく木立の向こうに白銀に輝くものが見えてきた。思わず歩調を緩めて足音を忍ばせるようにするが、考えてみればすぐに匂いで自分が来たことは判る筈だと思いなおして、そのまま普通に歩き始める。
そしてりんが考えていた通り、殺生丸は彼女がやって来ていることに気がついていた。下僕と一緒にいた少女の匂いが、こちらに向かっているのを察して、軽く張り巡らせていた結界を解いて、自分の姿が見えるようにしてやる。
着物の脇から生えている(様に見える)細い腕が、上帯を整えてからすうっと消えるのを見やると、そっとこちらを窺っている少女に向かって声をかける。
「りん、何をしている」
その声に、りんはびくっと肩を震わせて恐る恐るといったように木の陰から出てきた。
何か言いたそうではあるが、何を言っていいのか分からない、といった感じの少女に無言で側に来るように促すと、ほっとしたように駆け寄って来た。
「……私の着物がどうかしたか?」
いつもなら、真っ直ぐに自分の眼を見上げてくる少女が、珍しく視線を落として己の着物を見つめているのに気づいてそう問いかけると、少し考えるような表情をしてから口を開いた。
「あのね、邪見さまが、殺生丸さまのお着物には『こそでのて』っていう妖怪さんがいるって教えてくれたの」
「……」
「お着替えとか手伝ってくれるっていうから、どんなのかな、って思って」
こちらを見上げてそう言いながらも、時折ちらりと視線が袖の方に行く。余程気になるらしい。
「……見たいのか」
別に放っておいてもいいのだが、いつも真っ直ぐに自分に向けられている少女の意識が散漫になっているというのはあまり面白いものではなく、ふとそんな言葉が口をついて出た。
「え? いいの?」
途端、りんの表情がぱあっと明るくなる。
それを見下ろしながら、軽く意識を集中して、『小袖の手』に左袖の方から出てくるように促すと、やがて一対の青白い腕が袖口から伸びてきた。本来は、着付けのとき以外には姿を現さないものであるため、何処か落ちつかないような感覚が伝わってくる。
「わぁ……」
いつもはただ風に揺れるだけの左袖から、細い腕が現れたのを見て、りんが小さく声を洩らす。
「……触っても大丈夫?」
しばらく色々な角度から眺めていたが、ややあって好奇心を抑えきれなくなったのかそう訊いてくる。
「別に構わんが」
「でも、急に触ったら驚いたりしない?」
「……?」
「だって、見たり聞いたり出来ないでしょ」
「……」
殺生丸には一瞬何のことだか解らなかったが、その後に続けられたりんの言葉で漸く納得した。手だけのモノだから視覚や聴覚が無いのだと思っているのだ。
「我らのような目や耳は無いが、それに代わる感覚はちゃんとある」
「へえ……そうなんだ」
殺生丸の言葉に、りんが不思議そうに『小袖の手』の指先を見つめる。
妖怪である殺生丸にとって、目や耳と言った外的器官の有無が、即そういった知覚の有無に結びつかないため(妖力でその辺りは何とでもなる)、りんの疑問は妙に目新しく感じられた。
りんがそっと『小袖の手』の甲の辺りに触れると、一瞬驚いたようにびくりと動いたが、殺生丸が無言で命じるとおとなしくなった。それでも、他者――憑いている着物の主以外――に触れられる事など初めてであるため、落ち着かない様子ではある。
「わぁ、すべすべしてる。お姫さまの手みたい。……指も長くてきれいなんだ……すごーい……」
始めこそ恐る恐ると言った感じで触れていたが、『小袖の手』がおとなしくしているのに安心したのか、両手で包み込むようにして触れてくる。
「……りんや邪見さまだと、ちっちゃいから殺生丸さまのお手伝いが出来ないんだ。でも、『こそでのて』さんがちゃんとお手伝いしてくれるんだったら、大丈夫だね」
にこにこしてそう言いながら、少し冷たい細い手を撫でる。まるで何かの仔を撫でるかのようなその仕草に、『小袖の手』が戸惑っているのがはっきりと判る。
そろそろ頃合かと思い、りんに手を離すように言おうとした矢先、殺生丸の知覚に奇妙な感覚が伝わってきた。
「……?」
それが何であるかを見極める前に、左袖から伸びた『小袖の手』がりんの手から離れ、その襟元に伸ばされる。りんがきょとんとしている間に、細い手は器用に彼女の襟を整え、肩に手をかけて後ろを向かせると、少し緩んでいた帯の結び目を直してやった。
「……あ、緩くなってたんだ。ありがとう」
礼を言われて、少し戸惑ったように細い手の動きが止まる。何処かしら妙に暖かな感覚が伝わってきて、殺生丸もまた困惑して『小袖の手』を見下ろした。
最初から妖怪として生を受けた者、あるいは人や獣が妖怪化したものとは違い、器物から生じたものたちは自我意識というものが希薄な傾向がある。彼らにとって「関係」と言うものは、本体である器物の持ち主と己の意志だけのものなのである。それが他者に興味を示し、あまつさえ着物を直してやるといったことまでしている。
りんの事が気に入ったのか、と無言で問いかけると、肯定の感覚が伝わってくる。
「……」
とりあえず姿を見せるのはもういいと命ずると、細い手はするすると殺生丸の左袖に引っ込んだ。細い指先が袖の中に消えると同時に、再び左袖は空になり、力なく風に揺れた。
その様子をじっと見つめていたりんが、殺生丸を見上げてにっこりと笑う。
「殺生丸さまの言ったとおりだね。目とかが無くても、ちゃんとりんの事がわかるんだ」
「……」
「帯のいろんな結び方とかも知ってるのかな?」
「……さあな」
恐らくは知っているだろうが、殺生丸自身はそういったことに何ら興味が無いため、その知識を生かす機会は――彼の着物に憑いている限り――無いであろう。
彼の返事にこころなしか残念そうに左袖を見つめているりんに、殺生丸は内心でため息をついた。
この少女が他者に対してかなり懐っこいというのは解っているが、誰彼構わず懐いたり好意を示したりするのはあまり気分の良いものではなかった。
世話を申し付けている邪見や阿吽に懐くのはまだ良いとしても、あの人間の小僧(琥珀)や飄々とした刀鍛冶までもがその好意の範囲内に入っているというのは面白くない。
ましてや自分と対峙している時に、自分以外の者に対して好意を示したり、懐いたりするなど言語道断である。
そんな殺生丸の内心を知ってか知らずか、りんが無邪気な様子で訊いてくる。
「ねえ、殺生丸さま。また今度、『こそでのて』さん、見せてくれる?」
「……状況にもよるな」
「?」
「あれは、私――つまり、着物の持ち主の着付けのとき以外は姿を現したりしないものだ。今はたまたま着付けを終えたばかりで、あれがまだ動ける状態であったが、そうでなかったら、いかに私が命じたとしても、そうそう姿を現すようなものではない」
「……そうなんだ」
殺生丸の言葉に、りんが少しがっかりしたような表情になる。
ただし、彼の言っている事は間違ってはいなかったが、真実の全てではなかった。確かに『小袖の手』は着付けのとき以外は殆ど眠っている類のものであり、そういった状態の時に実体化させるのは困難である。しかし、殺生丸ほどの大妖であれば、己の意思ひとつで彼らを実体化させることくらい簡単に出来てしまうのだ。
残念そうなりんの顔を見下ろしながら、殺生丸は再びそっとため息をついた。
己が女に振り回される日が来るなどと考えたことさえなかったというのに、選りにもよってこんな幼い少女がそれを成し遂げてしまうとは――
胸中に蟠(わだかま)る自嘲の念を苦いものに感じながら、殺生丸はりんに背を向けた。
「戻るぞ、りん」
「はあい」
明るく応じるりんの声を聞き、とてとてと己の後をついてくるその存在を意識しながらも、殺生丸は振り向いて彼女の方を見る事はせず、邪見と阿吽の待つ浜辺へと歩を進めた。
〈終〉
刀鍛冶が去った後、木立ちの中へと歩み去った殺生丸の後姿を見送りながら、りんは「ねえねえ」と邪見の着物の袖を引っ張った。
「殺生丸さま、何しに行ったの?」
「身形を整えに行かれたに決まっておろうが」
「……お着替えするの?」
「まあ、そんなところじゃ」
ふうんと納得しながら、ふと気がついたように邪見に問いかける。
「邪見さま、殺生丸さまのお着替えのお手伝いしないの?」
りんの質問に、邪見が呆れたように彼女を見上げる。
「わしの背丈で、殺生丸さまのお召し変えのお手伝いが出来るわけないじゃろうが」
確かにその通りである。
しかしそうなると、いったいどうやって着替えているのだろうか。今更言うまでもないが、彼は隻腕である。そして、着物や袴といったものは、片手で着脱するには――脱ぐ分には何とかなるかもしれないが――かなり無理のある代物なのだ。
りんが殺生丸の一行に加わってそれなりの月日が経っているが、彼女がそういった疑問を抱いたことは今まで無かった。
ある意味間の抜けた話であるが、それも無理はなかったかもしれない。まめに着物を洗ったり、繕ったりしなければならないりんと違って、殺生丸の装いはいつも整っていたからだ。戦闘の後などは流石に少し乱れた感じになるが、それもいつの間にか整えられているのが常であった。
殺生丸は大妖怪であり、身に付けているものも妖怪の手になる物であるから、人間の使うそれとは違うのだろうと漠然と思っていたのだが、妖怪であろうと人間であろうと、着替えるときには帯や紐を締めたり結んだりしなければならないことには変わりない。
「でも、帯とか一人で大丈夫なの?」
「殺生丸さまは大妖怪じゃぞ。そのくらいの事、何でもないわ」
妖力でそのくらいは簡単だと仄めかすが、りんには今ひとつ飲み込めないらしく、小首を傾げている。
「……それにな、殺生丸さまのお召し物には、『小袖の手』が憑けてあるから、問題は無いんじゃ」
もう少し解りやすいように言ってやるか、と思ってそう言うと、りんの顔が更にきょとんとしたものになる。
「……こそでのて?」
明らかに理解してない口調でそう繰り返すのに、邪見が呆れたような顔になるが、考えてみれば普通の人間が知っている筈も無いものの事ではある。
「『小袖の手』というのは、まあ……妖怪の一種じゃな。代々受け継がれた着物などに精が宿って生じた手だけの妖怪で、着付けなどを手伝ったりするんじゃ」
気を取り直して、簡単に説明してやると、りんが感心したように眼を瞬かせる。
「へえ、便利な妖怪さんなんだね。……あれ? じゃあ、殺生丸さまの着物って、おとうやおじいちゃんのお古なの?」
「馬鹿な事を言うでないっ、殺生丸さまのお召し物が古着などである筈が無いじゃろうが!」
「え? でも、古い着物の妖怪さんなんでしょ?」
大真面目にそう訊いてくるりんに、思わず肩を落としてしまう邪見であった。
子供らしいと言えばそうなのだが、『小袖の手』の説明の方に気を取られて、その前に話した事が意識の外に追いやられてしまったらしい。
「……あのな、さっき『憑けてある』と言ったじゃろうが。妖怪の着物なら、新しい物でもいいんじゃ」
「ふうん、そうなんだ」
納得したように頷いて、殺生丸が向かった先に眼をやる。そんな彼女には構わずに、邪見は滔々と説明を続けていた。
「……しかし、殺生丸さまほどの御方のお世話を申し付けるのじゃから、そんじょそこらの雑魚を使うわけにはいかん。ああいった者の中でも、特に優れたものを選び出して憑けておる。着付けだけでなく、ある程度、自力での再生も可能なくらい妖力の強いものをな。だから、殺生丸さまのお召し物はつねにきちんとしておられる。人間の着物から生じた連中なんぞとは比べもんにならん。
りん、お前もおなごの端くれなのじゃから、少しは殺生丸さまを見習って身形に気を遣うといった事を覚えた方が……って、おい、りん? 何処へ行ったんじゃ?」
薀蓄を語っているうちに、りんへのお小言が邪見の口をついて出てきて、彼女の方に顔を向けるが、既にりんはその場にはいなかった。
邪見が説明に夢中になっている間に、りんはそっとその場から離れて殺生丸を探しに木立ちの中へと走っていった。
急げば『小袖の手』とやらが、殺生丸に着物を着せているところを見られるかもしれない。
(着物から手が生えてるって、どんなんだろう? ……やっぱり袖のところから生えてるのかな?)
邪見の説明を聞いているうちに、りんはその『小袖の手』という妖怪が見たくて見たくて堪らなくなってきたのだ。
子供らしい好奇心に駆られ、彼の姿を探していると、まもなく木立の向こうに白銀に輝くものが見えてきた。思わず歩調を緩めて足音を忍ばせるようにするが、考えてみればすぐに匂いで自分が来たことは判る筈だと思いなおして、そのまま普通に歩き始める。
そしてりんが考えていた通り、殺生丸は彼女がやって来ていることに気がついていた。下僕と一緒にいた少女の匂いが、こちらに向かっているのを察して、軽く張り巡らせていた結界を解いて、自分の姿が見えるようにしてやる。
着物の脇から生えている(様に見える)細い腕が、上帯を整えてからすうっと消えるのを見やると、そっとこちらを窺っている少女に向かって声をかける。
「りん、何をしている」
その声に、りんはびくっと肩を震わせて恐る恐るといったように木の陰から出てきた。
何か言いたそうではあるが、何を言っていいのか分からない、といった感じの少女に無言で側に来るように促すと、ほっとしたように駆け寄って来た。
「……私の着物がどうかしたか?」
いつもなら、真っ直ぐに自分の眼を見上げてくる少女が、珍しく視線を落として己の着物を見つめているのに気づいてそう問いかけると、少し考えるような表情をしてから口を開いた。
「あのね、邪見さまが、殺生丸さまのお着物には『こそでのて』っていう妖怪さんがいるって教えてくれたの」
「……」
「お着替えとか手伝ってくれるっていうから、どんなのかな、って思って」
こちらを見上げてそう言いながらも、時折ちらりと視線が袖の方に行く。余程気になるらしい。
「……見たいのか」
別に放っておいてもいいのだが、いつも真っ直ぐに自分に向けられている少女の意識が散漫になっているというのはあまり面白いものではなく、ふとそんな言葉が口をついて出た。
「え? いいの?」
途端、りんの表情がぱあっと明るくなる。
それを見下ろしながら、軽く意識を集中して、『小袖の手』に左袖の方から出てくるように促すと、やがて一対の青白い腕が袖口から伸びてきた。本来は、着付けのとき以外には姿を現さないものであるため、何処か落ちつかないような感覚が伝わってくる。
「わぁ……」
いつもはただ風に揺れるだけの左袖から、細い腕が現れたのを見て、りんが小さく声を洩らす。
「……触っても大丈夫?」
しばらく色々な角度から眺めていたが、ややあって好奇心を抑えきれなくなったのかそう訊いてくる。
「別に構わんが」
「でも、急に触ったら驚いたりしない?」
「……?」
「だって、見たり聞いたり出来ないでしょ」
「……」
殺生丸には一瞬何のことだか解らなかったが、その後に続けられたりんの言葉で漸く納得した。手だけのモノだから視覚や聴覚が無いのだと思っているのだ。
「我らのような目や耳は無いが、それに代わる感覚はちゃんとある」
「へえ……そうなんだ」
殺生丸の言葉に、りんが不思議そうに『小袖の手』の指先を見つめる。
妖怪である殺生丸にとって、目や耳と言った外的器官の有無が、即そういった知覚の有無に結びつかないため(妖力でその辺りは何とでもなる)、りんの疑問は妙に目新しく感じられた。
りんがそっと『小袖の手』の甲の辺りに触れると、一瞬驚いたようにびくりと動いたが、殺生丸が無言で命じるとおとなしくなった。それでも、他者――憑いている着物の主以外――に触れられる事など初めてであるため、落ち着かない様子ではある。
「わぁ、すべすべしてる。お姫さまの手みたい。……指も長くてきれいなんだ……すごーい……」
始めこそ恐る恐ると言った感じで触れていたが、『小袖の手』がおとなしくしているのに安心したのか、両手で包み込むようにして触れてくる。
「……りんや邪見さまだと、ちっちゃいから殺生丸さまのお手伝いが出来ないんだ。でも、『こそでのて』さんがちゃんとお手伝いしてくれるんだったら、大丈夫だね」
にこにこしてそう言いながら、少し冷たい細い手を撫でる。まるで何かの仔を撫でるかのようなその仕草に、『小袖の手』が戸惑っているのがはっきりと判る。
そろそろ頃合かと思い、りんに手を離すように言おうとした矢先、殺生丸の知覚に奇妙な感覚が伝わってきた。
「……?」
それが何であるかを見極める前に、左袖から伸びた『小袖の手』がりんの手から離れ、その襟元に伸ばされる。りんがきょとんとしている間に、細い手は器用に彼女の襟を整え、肩に手をかけて後ろを向かせると、少し緩んでいた帯の結び目を直してやった。
「……あ、緩くなってたんだ。ありがとう」
礼を言われて、少し戸惑ったように細い手の動きが止まる。何処かしら妙に暖かな感覚が伝わってきて、殺生丸もまた困惑して『小袖の手』を見下ろした。
最初から妖怪として生を受けた者、あるいは人や獣が妖怪化したものとは違い、器物から生じたものたちは自我意識というものが希薄な傾向がある。彼らにとって「関係」と言うものは、本体である器物の持ち主と己の意志だけのものなのである。それが他者に興味を示し、あまつさえ着物を直してやるといったことまでしている。
りんの事が気に入ったのか、と無言で問いかけると、肯定の感覚が伝わってくる。
「……」
とりあえず姿を見せるのはもういいと命ずると、細い手はするすると殺生丸の左袖に引っ込んだ。細い指先が袖の中に消えると同時に、再び左袖は空になり、力なく風に揺れた。
その様子をじっと見つめていたりんが、殺生丸を見上げてにっこりと笑う。
「殺生丸さまの言ったとおりだね。目とかが無くても、ちゃんとりんの事がわかるんだ」
「……」
「帯のいろんな結び方とかも知ってるのかな?」
「……さあな」
恐らくは知っているだろうが、殺生丸自身はそういったことに何ら興味が無いため、その知識を生かす機会は――彼の着物に憑いている限り――無いであろう。
彼の返事にこころなしか残念そうに左袖を見つめているりんに、殺生丸は内心でため息をついた。
この少女が他者に対してかなり懐っこいというのは解っているが、誰彼構わず懐いたり好意を示したりするのはあまり気分の良いものではなかった。
世話を申し付けている邪見や阿吽に懐くのはまだ良いとしても、あの人間の小僧(琥珀)や飄々とした刀鍛冶までもがその好意の範囲内に入っているというのは面白くない。
ましてや自分と対峙している時に、自分以外の者に対して好意を示したり、懐いたりするなど言語道断である。
そんな殺生丸の内心を知ってか知らずか、りんが無邪気な様子で訊いてくる。
「ねえ、殺生丸さま。また今度、『こそでのて』さん、見せてくれる?」
「……状況にもよるな」
「?」
「あれは、私――つまり、着物の持ち主の着付けのとき以外は姿を現したりしないものだ。今はたまたま着付けを終えたばかりで、あれがまだ動ける状態であったが、そうでなかったら、いかに私が命じたとしても、そうそう姿を現すようなものではない」
「……そうなんだ」
殺生丸の言葉に、りんが少しがっかりしたような表情になる。
ただし、彼の言っている事は間違ってはいなかったが、真実の全てではなかった。確かに『小袖の手』は着付けのとき以外は殆ど眠っている類のものであり、そういった状態の時に実体化させるのは困難である。しかし、殺生丸ほどの大妖であれば、己の意思ひとつで彼らを実体化させることくらい簡単に出来てしまうのだ。
残念そうなりんの顔を見下ろしながら、殺生丸は再びそっとため息をついた。
己が女に振り回される日が来るなどと考えたことさえなかったというのに、選りにもよってこんな幼い少女がそれを成し遂げてしまうとは――
胸中に蟠(わだかま)る自嘲の念を苦いものに感じながら、殺生丸はりんに背を向けた。
「戻るぞ、りん」
「はあい」
明るく応じるりんの声を聞き、とてとてと己の後をついてくるその存在を意識しながらも、殺生丸は振り向いて彼女の方を見る事はせず、邪見と阿吽の待つ浜辺へと歩を進めた。
〈終〉
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2005/09/27 |
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- ▲
手始め
まずは短いものから。
単行本では42巻に収録される事になる場面での兄の心中を根性で妄想。
[手始め] Read More↓
単行本では42巻に収録される事になる場面での兄の心中を根性で妄想。
帰還
不快感が全身に纏わりついていた。
自分を気遣ってか、あれこれと話しかけてくる下僕に蹴りを入れて黙らせると、無言のままりんと阿吽を残していった場所へと向かう。
いつものように、少女は楽しげに双頭竜に話しかけながら、花摘みをしていた。
おとなしく頭を下げて、二つの首に花輪を飾られるままにしていた竜が、主の気配に気づいて片方の首を上げる。その動きをなぞるようにりんもこちらを振り向き、殺生丸の姿を認めると大喜びで駆け寄ってきた。
「殺生丸さま! おかえりなさい!」
喜色満面で近寄ってきた少女の顔が、殺生丸の様子に気づくと同時に、はっとしたような表情になる。
それも無理は無いだろう。
今の己の姿は、御世辞にも無事であるとは言いがたいものであるのだから。
鎧は砕け、着物も裂け、肉体の傷もまだ完全に癒えておらず、あちこちに残った傷は生々しく血を滲ませている。
りんが殺生丸のこれほどまでに傷ついた姿を見るのは、初めて出会った時以来かもしれなかった。
「…殺生丸さま…大丈夫…?」
見上げてくる少女の黒い瞳が、不安げな色に揺れている。
幼い少女の姿に重なるように思い出されるのは、天生牙でも救い得なかった一人の女。
瘴気に侵され、風の中に消えながら、それでも最後に微笑んでいた風の化身。
「――大事ない」
もし――
もし、この少女が――
「でも、ケガが…」
殺生丸の答えを聞いても、尚も不安そうにしているりんを、邪見が脇から叱り付ける。
「こりゃ、りんっ! 殺生丸さまが『大事ない』と仰っておられるのじゃ。お前ごときがあれこれ口を出すでないわっ!」
「えー? でも…」
煩く喚きたてる下僕が気に触ったので、りんの横を通り過ぎざまに踏みつけると、そのまま海に面してせり出した岩へと腰を下ろす。
背後でりんが慌てたように邪見を助け起こす気配を感じながら、殺生丸は虚空を見つめて思索に耽っていた。
嬉しそうに自分を見つめて笑う少女。怪我を案じて不安そうに瞳を揺らす少女。
天生牙でこの世へと引き戻し、以来、共にあることを許してきた人の雛。
その命もまた、風の中へ消えていったあの存在と同様に(いや、それ以上に)、儚く、脆いものであるのだと――不意に、そう突きつけられた気がしたのだ。
天生牙で救った命。
天生牙でも救い得なかった命。
この二つの間に何の違いがあると言うのか。
事故や病による死であれば、天生牙は確かに有効であろう。
だが、瘴気に侵され、肉体が消滅してしまったら――
そして何より、寿命による死に対しては――?
思考は螺旋を描き、一向に纏まることが無い。
使い手の思考に反応してか、天生牙がやたらに騒ぐのが感じられる。
風の中に覚えのある臭いが混じっているのを嗅ぎ取り、殺生丸の表情が僅かに動いた。
それをきっかけに空転する思考を断ち切ると、立ち上がって近づいてくる気配の方に顔を向ける。
「よお」
地響きと共に、三つ目の妖牛に乗って降りてきた刀鍛冶の姿に、殺生丸は冷たい視線を向けた。
不快感が全身に纏わりついていた。
自分を気遣ってか、あれこれと話しかけてくる下僕に蹴りを入れて黙らせると、無言のままりんと阿吽を残していった場所へと向かう。
いつものように、少女は楽しげに双頭竜に話しかけながら、花摘みをしていた。
おとなしく頭を下げて、二つの首に花輪を飾られるままにしていた竜が、主の気配に気づいて片方の首を上げる。その動きをなぞるようにりんもこちらを振り向き、殺生丸の姿を認めると大喜びで駆け寄ってきた。
「殺生丸さま! おかえりなさい!」
喜色満面で近寄ってきた少女の顔が、殺生丸の様子に気づくと同時に、はっとしたような表情になる。
それも無理は無いだろう。
今の己の姿は、御世辞にも無事であるとは言いがたいものであるのだから。
鎧は砕け、着物も裂け、肉体の傷もまだ完全に癒えておらず、あちこちに残った傷は生々しく血を滲ませている。
りんが殺生丸のこれほどまでに傷ついた姿を見るのは、初めて出会った時以来かもしれなかった。
「…殺生丸さま…大丈夫…?」
見上げてくる少女の黒い瞳が、不安げな色に揺れている。
幼い少女の姿に重なるように思い出されるのは、天生牙でも救い得なかった一人の女。
瘴気に侵され、風の中に消えながら、それでも最後に微笑んでいた風の化身。
「――大事ない」
もし――
もし、この少女が――
「でも、ケガが…」
殺生丸の答えを聞いても、尚も不安そうにしているりんを、邪見が脇から叱り付ける。
「こりゃ、りんっ! 殺生丸さまが『大事ない』と仰っておられるのじゃ。お前ごときがあれこれ口を出すでないわっ!」
「えー? でも…」
煩く喚きたてる下僕が気に触ったので、りんの横を通り過ぎざまに踏みつけると、そのまま海に面してせり出した岩へと腰を下ろす。
背後でりんが慌てたように邪見を助け起こす気配を感じながら、殺生丸は虚空を見つめて思索に耽っていた。
嬉しそうに自分を見つめて笑う少女。怪我を案じて不安そうに瞳を揺らす少女。
天生牙でこの世へと引き戻し、以来、共にあることを許してきた人の雛。
その命もまた、風の中へ消えていったあの存在と同様に(いや、それ以上に)、儚く、脆いものであるのだと――不意に、そう突きつけられた気がしたのだ。
天生牙で救った命。
天生牙でも救い得なかった命。
この二つの間に何の違いがあると言うのか。
事故や病による死であれば、天生牙は確かに有効であろう。
だが、瘴気に侵され、肉体が消滅してしまったら――
そして何より、寿命による死に対しては――?
思考は螺旋を描き、一向に纏まることが無い。
使い手の思考に反応してか、天生牙がやたらに騒ぐのが感じられる。
風の中に覚えのある臭いが混じっているのを嗅ぎ取り、殺生丸の表情が僅かに動いた。
それをきっかけに空転する思考を断ち切ると、立ち上がって近づいてくる気配の方に顔を向ける。
「よお」
地響きと共に、三つ目の妖牛に乗って降りてきた刀鍛冶の姿に、殺生丸は冷たい視線を向けた。
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2005/09/27 |
- 読切(原作) |
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