200509
考察(屁理屈とも…)
3月からの兄の連続登場で舞い上がっておりましたら、神楽姐さんが絡んできて、一気に凹んだ頃に書いたものです。
根性で殺りん変換機能の回復に励んでいたなー(遠い眼)
とことん殺りんよりの考察なので、そういうのが嫌だという人は読まないで下さいね。
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根性で殺りん変換機能の回復に励んでいたなー(遠い眼)
とことん殺りんよりの考察なので、そういうのが嫌だという人は読まないで下さいね。
殺生丸の神楽に対する感情についての考察
殺生丸にとって、神楽は当初「奈落の分身」以外の何者でもなかったと思われる。
初めて神楽に会ったときには、既に殺生丸にとって奈落は「敵」に分類されていた訳であるから、神楽に対する印象が良い訳が無い。更に付け加えるなら、この段階ではまだ、彼女を「個」として認識していたかも怪しい。
2度目の出会いは、彼女が四魂の欠片を入手し、それと引き換えに奈落を倒して欲しいと彼に取引を持ちかけるといったものである。
ここで、前回から薄々察していたであろうが、彼女が奈落に造反を企てていることをはっきりと知ることとなる。
しかし、殺生丸はその提案を一蹴する。
大妖怪である殺生丸にとって、四魂の玉などは不必要な存在である、というのが原因の大半であるのは言うまでもないが、自由を求めながらもその為に取った行動が他力本願なものである、というのは彼にとっては軽侮の対象でしかなかったのではないだろうか。
次に彼女が殺生丸一行に関わってくるのは、殺りんファン狂喜乱舞のエピソードであったりん誘拐事件のときであるが、この時彼女は殺生丸とは直接顔を合わせてはいない。状況が状況なので、印象がよくなる訳はないが。
ただ、神楽にとっては自分の提案を一蹴した男が、たかが人間の小娘のために動いた、というのは何とも複雑なものがあったであろう。
この後続く白霊山のエピソードでは、神楽が直接一行に関わって来る事は無いが、殺生丸の行動については情報が入ってきていたであろうから、やはり複雑であっただろうことは推察される。
その後の神楽は、殺生丸の元に訪れては可能な限りの情報を渡したりしている。心臓を奈落に握られている以上、どうしても他者を頼らざるを得ない、という点は変わらないが、自分に可能なことを模索しているその姿勢は、彼にとっては好意とまではいかないが、少なくとも「侮蔑の対象」という括りから彼女を外すのに十分であったと思われる。
といっても、川に落ちた彼女を助けたのが、見事なまでに「ついで」であるのは言うまでもない。りん(と邪見)がつられて溺れなかったら、まず間違いなく流されるままになっていたであろう。
この辺りが、彼と犬夜叉との違いである。
そして、完全に孤立無援になってしまった神楽に最後のときが訪れる。
奈落によって致命傷を負わされた彼女の元に殺生丸が現れた。彼女だとわかっていて来た、と言い、更には天生牙に手をかけてさえいる。これは、殺りんファン的にはきついが、殺生丸の心の成長、という視点で見た場合は興味深い。今まで彼は四回天生牙を揮っているが、そのいずれもが「自分のため」と言って差し支えないものである。
記念すべきりんの蘇生のときは、まさに「自分のため」である。自分でも明確ではない思いに駆られながら踵を返し、天生牙を抜き放ったとき、彼の中には「彼女を生き返らせることに対する是非」を考える気持などは存在していなかった。天生牙の力を試し、彼女をこの世へと引き戻すためだけに、彼は刀を揮ったのである。(生き返らせることが彼女にとっていい事なのか、などとは全然考えていないあたり、見事に天然である)
次の悟心鬼。これは単純に刀の材料の確保のため。
で、闘鬼神に真っ二つにされた邪見。状況の確認のため、と言う見方もあるが、残された臭いから何が起こったのかぐらい、彼にはすぐに分かるであろうからそれはちょっと弱い気がする。やはり、りんとの出会いで、殺生丸の中に何かしらの心の動きがあったのであろう。…りんの世話係が必要、といったのもあるかもしれないが。
甘太のおとうに関しても、天生牙が騒いだことに対する好奇心的な意味合いが強い感じがある。
そして、神楽。ある意味、彼女に対してだけは「自分のため」ではなく、純粋に「彼女のため」といった感がある。といっても、それが即、恋愛感情に結びつくとは限らない。恋愛感情というのは、多分に利己的なものであり、独占欲なども含むものである。殺生丸の神楽に対する態度からは、このどちらも感じられない事から、彼女に対して彼が恋愛感情を持っているとは考えにくいのだ。
少し話は逸れるが、これに対してりんの時には殺生丸はかなり積極的に動いている。(27巻参照)この事からも、彼の神楽に対する気持はりんと同等ではありえない、と言えるだろう。
ひたすらに自由を求め、自分自身であり続けようとした神楽を、この時になって初めて彼は「個」として認め、餞代わりに天生牙で救おうとしたのではないだろうか。
だが、瘴気に侵された彼女の身体は崩壊し、風の中へと消えていく。
肉体が消えてしまっては、天生牙でも救うことが出来ない。
彼女の死を通じて、殺生丸は「天生牙の限界」を知る。
天生牙はその特殊な性質上、滅多に揮われることは無い。だが、使い手である殺生丸の中にはどこかで「いざとなったら天生牙がある」といった考えがあったのではないだろうか。神楽の死はそういった考えを粉砕するのに、十分すぎるものであった。
更に、自らの力に絶対的な自信を持っている彼にとって、己の力が及ばない、という経験はそう無かったのではないだろうか。
しかし、心の成長、というものにおいて、挫折というのはある意味必要不可欠なものでもある。
以前、犬夜叉の風の傷を受けた時には、半妖と侮っていた彼が鉄砕牙を使いこなし、なまくらと蔑んでいた天生牙が自分を守った、という事実に直面して、彼の内面に変化が生じ、天生牙の真の使い手として開眼するきっかけになった。
だが、今回はその天生牙の力が通用しないという事態を突きつけられたのだ。
これは、彼にとってかなりの精神的な衝撃であった筈である。ある意味前回よりきついかもしれない。
しかし、これをきちんと克服することが出来たとき、彼は精神的な成長を遂げることになるのである。
最近のサンデーで、殺生丸がやたらに神楽を回想しているのは、命の儚さ、という事が、漸く彼の中で理解されてきている証拠ではないだろうか。
それは、天生牙で(ある意味反則的に)命を救いうる殺生丸にとっては、今まで縁の無かった思考である。
それを与えたきっかけである神楽を回想してしまうのは、どちらかと言えば連鎖反応のようなもので、恋愛感情であるとは考えにくい。
殺生丸にとって、神楽は当初「奈落の分身」以外の何者でもなかったと思われる。
初めて神楽に会ったときには、既に殺生丸にとって奈落は「敵」に分類されていた訳であるから、神楽に対する印象が良い訳が無い。更に付け加えるなら、この段階ではまだ、彼女を「個」として認識していたかも怪しい。
2度目の出会いは、彼女が四魂の欠片を入手し、それと引き換えに奈落を倒して欲しいと彼に取引を持ちかけるといったものである。
ここで、前回から薄々察していたであろうが、彼女が奈落に造反を企てていることをはっきりと知ることとなる。
しかし、殺生丸はその提案を一蹴する。
大妖怪である殺生丸にとって、四魂の玉などは不必要な存在である、というのが原因の大半であるのは言うまでもないが、自由を求めながらもその為に取った行動が他力本願なものである、というのは彼にとっては軽侮の対象でしかなかったのではないだろうか。
次に彼女が殺生丸一行に関わってくるのは、殺りんファン狂喜乱舞のエピソードであったりん誘拐事件のときであるが、この時彼女は殺生丸とは直接顔を合わせてはいない。状況が状況なので、印象がよくなる訳はないが。
ただ、神楽にとっては自分の提案を一蹴した男が、たかが人間の小娘のために動いた、というのは何とも複雑なものがあったであろう。
この後続く白霊山のエピソードでは、神楽が直接一行に関わって来る事は無いが、殺生丸の行動については情報が入ってきていたであろうから、やはり複雑であっただろうことは推察される。
その後の神楽は、殺生丸の元に訪れては可能な限りの情報を渡したりしている。心臓を奈落に握られている以上、どうしても他者を頼らざるを得ない、という点は変わらないが、自分に可能なことを模索しているその姿勢は、彼にとっては好意とまではいかないが、少なくとも「侮蔑の対象」という括りから彼女を外すのに十分であったと思われる。
といっても、川に落ちた彼女を助けたのが、見事なまでに「ついで」であるのは言うまでもない。りん(と邪見)がつられて溺れなかったら、まず間違いなく流されるままになっていたであろう。
この辺りが、彼と犬夜叉との違いである。
そして、完全に孤立無援になってしまった神楽に最後のときが訪れる。
奈落によって致命傷を負わされた彼女の元に殺生丸が現れた。彼女だとわかっていて来た、と言い、更には天生牙に手をかけてさえいる。これは、殺りんファン的にはきついが、殺生丸の心の成長、という視点で見た場合は興味深い。今まで彼は四回天生牙を揮っているが、そのいずれもが「自分のため」と言って差し支えないものである。
記念すべきりんの蘇生のときは、まさに「自分のため」である。自分でも明確ではない思いに駆られながら踵を返し、天生牙を抜き放ったとき、彼の中には「彼女を生き返らせることに対する是非」を考える気持などは存在していなかった。天生牙の力を試し、彼女をこの世へと引き戻すためだけに、彼は刀を揮ったのである。(生き返らせることが彼女にとっていい事なのか、などとは全然考えていないあたり、見事に天然である)
次の悟心鬼。これは単純に刀の材料の確保のため。
で、闘鬼神に真っ二つにされた邪見。状況の確認のため、と言う見方もあるが、残された臭いから何が起こったのかぐらい、彼にはすぐに分かるであろうからそれはちょっと弱い気がする。やはり、りんとの出会いで、殺生丸の中に何かしらの心の動きがあったのであろう。…りんの世話係が必要、といったのもあるかもしれないが。
甘太のおとうに関しても、天生牙が騒いだことに対する好奇心的な意味合いが強い感じがある。
そして、神楽。ある意味、彼女に対してだけは「自分のため」ではなく、純粋に「彼女のため」といった感がある。といっても、それが即、恋愛感情に結びつくとは限らない。恋愛感情というのは、多分に利己的なものであり、独占欲なども含むものである。殺生丸の神楽に対する態度からは、このどちらも感じられない事から、彼女に対して彼が恋愛感情を持っているとは考えにくいのだ。
少し話は逸れるが、これに対してりんの時には殺生丸はかなり積極的に動いている。(27巻参照)この事からも、彼の神楽に対する気持はりんと同等ではありえない、と言えるだろう。
ひたすらに自由を求め、自分自身であり続けようとした神楽を、この時になって初めて彼は「個」として認め、餞代わりに天生牙で救おうとしたのではないだろうか。
だが、瘴気に侵された彼女の身体は崩壊し、風の中へと消えていく。
肉体が消えてしまっては、天生牙でも救うことが出来ない。
彼女の死を通じて、殺生丸は「天生牙の限界」を知る。
天生牙はその特殊な性質上、滅多に揮われることは無い。だが、使い手である殺生丸の中にはどこかで「いざとなったら天生牙がある」といった考えがあったのではないだろうか。神楽の死はそういった考えを粉砕するのに、十分すぎるものであった。
更に、自らの力に絶対的な自信を持っている彼にとって、己の力が及ばない、という経験はそう無かったのではないだろうか。
しかし、心の成長、というものにおいて、挫折というのはある意味必要不可欠なものでもある。
以前、犬夜叉の風の傷を受けた時には、半妖と侮っていた彼が鉄砕牙を使いこなし、なまくらと蔑んでいた天生牙が自分を守った、という事実に直面して、彼の内面に変化が生じ、天生牙の真の使い手として開眼するきっかけになった。
だが、今回はその天生牙の力が通用しないという事態を突きつけられたのだ。
これは、彼にとってかなりの精神的な衝撃であった筈である。ある意味前回よりきついかもしれない。
しかし、これをきちんと克服することが出来たとき、彼は精神的な成長を遂げることになるのである。
最近のサンデーで、殺生丸がやたらに神楽を回想しているのは、命の儚さ、という事が、漸く彼の中で理解されてきている証拠ではないだろうか。
それは、天生牙で(ある意味反則的に)命を救いうる殺生丸にとっては、今まで縁の無かった思考である。
それを与えたきっかけである神楽を回想してしまうのは、どちらかと言えば連鎖反応のようなもので、恋愛感情であるとは考えにくい。
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2005/09/29 |
- 書庫 |
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謎…
阪神が優勝を決めてうはうは気分でございますvv
ワァイ,,,((/*~▽)乂(▽~*\)),,,ワァイ
地元福岡のホークスも勿論応援してますが、パ・リーグにはプレーオフと言うものがあるので何とも言えませんな……
で、その後のマジックの番組を今見てるのですが…本当にわかりませんな……
いや、マジックだから必ずタネがあるのはわかってるのですが……透明テーブルを使って、しかもその下からカメラで写してるのに判らないって……
……つくづく、マジシャンというのは偉大です……
昨日の内に連載分を全部アップしてしまいましたので、場繋ぎに考察でも書き直そうかと思ってます(^_^;
ワァイ,,,((/*~▽)乂(▽~*\)),,,ワァイ
地元福岡のホークスも勿論応援してますが、パ・リーグにはプレーオフと言うものがあるので何とも言えませんな……
で、その後のマジックの番組を今見てるのですが…本当にわかりませんな……
いや、マジックだから必ずタネがあるのはわかってるのですが……透明テーブルを使って、しかもその下からカメラで写してるのに判らないって……
……つくづく、マジシャンというのは偉大です……
昨日の内に連載分を全部アップしてしまいましたので、場繋ぎに考察でも書き直そうかと思ってます(^_^;
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2005/09/29 |
- 雑記 |
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神隠しの森 〈4〉
前回連載時10〜12回分に、少しだけ書き足した分を加えました。
きりがいいのでここまで載せます。微妙にアイタタな兄上ですが…まあそこは目を瞑ってください(苦笑)
続きはちまちま書きますので、暫くお待ちください m(_ _)m
[神隠しの森 〈4〉] Read More↓
きりがいいのでここまで載せます。微妙にアイタタな兄上ですが…まあそこは目を瞑ってください(苦笑)
続きはちまちま書きますので、暫くお待ちください m(_ _)m
赤くなっている顎を冷やさないと、と言って邪見がりんを連れて行ったのは森の奥のほうにある小さな泉だった。
邪見に言われるままに冷たい水で顔を洗い、濡らした布で赤くなった痕を冷やすと痛みは徐々に引いていった。
それでも、未だに先程の殺生丸の行為から受けた衝撃から立ち直れずに、時折しゃくりあげるりんに、邪見は珍しく何処か躊躇うように声をかけた。
「……あのな、りん」
その声にりんが邪見のほうに顔を向ける。泣きはらして赤くなった目許を痛々しいものに見つめながらも、邪見は慎重に言葉を選びながら口を開いた。
「わしらは妖怪じゃ。……人間とは違う」
「……」
「お前は、あの木の実をくれた者には悪意を感じなかった、と言っておるが、悪意がないからといって、あの実が無害なものであったとは限らんのじゃ」
その言葉にりんは眼を伏せて、きゅっと唇を噛み締めた。
「例えば、人喰いの輩(やから)にとっては、人を喰うのは悪い事でも何でもない。……人間が魚を取って喰うのを悪いことだとは思っておらんようにな。それと同じように、人をただ愉しみの為に傷つけたり……殺したりする者にも、悪意や害意といったものは無いんじゃ」
「……」
邪見にそう言われても、りんはあの少年が自分を害そうとしたなどとは思えなかった。
彼らと一緒にいることに奇異の眼を向けてきたのは、人間ばかりではない。――いや、むしろ妖怪たちのほうが、りんの事を『異物』としてあからさまな侮蔑の視線を向けてきたのだ。
「……でも、あのひと……そんな風じゃなかった」
尚も言い募るりんに、邪見は小さくため息をついた。
「……まあ、百歩譲って、お前が言ったようにその者に悪意が無かったとしても、あの実が安全であるとは言い切れんのじゃ。妖怪には何とも無くても、人間には毒になるような物はいくらでもあるのだからな」
邪見の言葉は見事に真実の一端を衝いていたのだが、無論彼がそれを知る訳が無い。邪見はただ主の行為から、あの実は有害な――少なくともりんにとっては――物だと考えただけである。
無表情で無口で、およそ何を考えているのか解らない主であるが、彼がりんに対して意味もなく辛く当たったりすることはないと、邪見は確信していた。――長年仕えている自分に対しては、些細な事で蹴りが飛んでくる事を考えると、かなり悲しいものがあるのだが。
「……」
りんは無言のまま、水面に視線を落とした。
邪見の言っていることは正しいと、頭では理解できるのだが、心の何処かが酷く頑なになっているのも事実だった。
そんな彼女の内心を見透かしたように、邪見が問いを投げかけてくる。
「りん、考えても見ろ。殺生丸さまが今までお前に対して、意味もなく酷く当たったりされたことがあったか?」
「……ううん」
りんはゆっくりとかぶりを振った。
殺生丸が今までりんに言いつけたのは、食料や焚き火などに必要な物の自力調達だけで、その他にはこれといって厳しいことを言われた覚えは無い。りんの行動に関してあれこれと注意し、躾らしきものをしているのは、むしろ邪見のほうである。(考えようによっては、雑用は全て邪見に押し付けていると言えるかもしれない)その邪見にしても、口煩くあれこれと言ってはくるが、意味もなくりんを叱ったりすることはしない。
「そうじゃろう? だからきっと、あの実を処分されたのにも、何か理由があっての事なんじゃ。……殺生丸さまの感覚は、わしや阿吽よりずっと優れておるのじゃからな」
「……」
それでもりんは俯いたままだった。
あの時の殺生丸に感じた恐怖は、今も彼女の中に色濃く残っている。
例えそれが向けられた対象が自分ではなかったのだとしても、あの金色の瞳に宿る冷たい怒りの焔は、幼い少女の心胆を寒からしめるのに十分すぎる程のものだったのだ。
だが、りんを本当の意味で苛んでいたのはそれではなかった。
殺生丸に対し、心底から恐怖を感じた――それに対する自責の念こそが、彼女を真実苛んでいるものだった。
(……あたし、あの時……本当に怖いって、思った……)
思い返すだけでも背筋が凍りつくような恐怖が甦る。それは、幼い少女にとっては極当たり前の事だったのだが、りんにとっては恐怖を感じた事それ自体が耐えられないことだったのだ。
(殺生丸さまが、あたしを傷つけたりしないって……解ってたはずなのに。……ううん、元々あたしは殺生丸さまに助けてもらったんだから、殺されたって文句は言えないのに……)
己の生殺与奪の権利は殺生丸にあるにも拘らず、彼の行為に対して恐怖を感じた――それは、一途に妖を慕う少女の心を自責の念の只中に落とし込んだ。
りんは俯いたまま、こみあげてくる涙を誤魔化すように、濡れた布で顔を拭った。
「……だからな、そう泣くでない。――大体、わしなんぞ些細なことでしょっちゅう足蹴にされておるのじゃぞ。それに比べたらお前なんぞ恵まれておる方じゃ……」
段々と愚痴になりながらも、自分を慰めてくれている邪見に、大丈夫だからと何とか笑みを浮かべて見せると、老妖怪はほっとしたように肩の力を抜いた。
少年が消えた後も、殺生丸は暫しその場に佇んでいた。
その姿は超然とした冷徹さを湛えており、先程、本性を表しかけた事など微塵も感じさせるものではなかった。
だが、内心では――この男にしては極めて珍しいことではあったが――それこそ腸が煮えくり返るような怒りを感じていたのだ。
――あの子は我々の方に、より近しい者……
りんをまるで己のものであるかのように――そうするつもりがあることを隠そうともせずに――告げたその言葉は、酷く殺生丸の癇に触った。
だが同時に、それは相手の目的をもはっきりとさせる事ともなった。
相手の目的がはっきりとした以上、彼が取る行動はただひとつしかなく、そうする事に何の躊躇いも迷いも感じることは無かった。
(この殺生丸を敵に回した事を……)
先程引き裂いた樹が毒によって腐食し、崩れ去るのをちらりと見やって殺生丸は踵を返した。
(己の消滅と共に悔いるがいい――)
「……どういうことだ」
不機嫌さを隠そうともせずに発せられた主の言葉に、邪見は平伏して脂汗をだらだらと流しながら説明を始めた。
「……あ、あの……お、おそらく殺生丸さまの毒気と妖気に中ったのだと思います……」
殺生丸の視線の先には、阿吽に凭れてぐったりとしているりんの姿があった。息遣いは荒く、体臭も熱がこもったようなものに変化している。
邪見の説明によれば、赤くなった顎を冷やすために向かった泉からの帰り道に、いきなり倒れたのだという。小柄な邪見にりんを支えることは出来ず、慌てて阿吽を呼んで此処まで運んだのだと。
「……そ、その、つまりですな。あ、あの時に、毒気が指に残っておられたのではないかと……妖気も強まっておられましたし……」
「……」
いつ蹴りが飛んでくるかと、びくびくしながら額を地面に擦り付けている下僕を一瞥すると、殺生丸は無言のままりんの側に近づいた。
彼の気配に気づいたのか、眼を閉じてぐったりとしていたりんがのろのろと顔を上げる。
「……殺生丸さま……」
熱で潤んだ瞳がぼんやりと殺生丸の姿を映す。その様子を注意深く見つめながら、殺生丸は軽く身を屈め、手を伸ばして指先で彼女の額に触れた。
ひやりとした指が触れる感触に、りんは熱に浮かされながらも嬉しそうに顔を綻ばせた。熱を持った額に冷たい指の感触が心地よかったのもあるが、彼が自分に触れてくれたという事に対する嬉しさの方が勝っていた。
そんなりんの様子を見つめながら、殺生丸は下僕の言葉の正しさを苦々しい思いで認めていた。
りん自身は気がついていないだろうが、殺生丸が側に来たことで明らかに彼女の体調は悪化していたのだ。それは、りんの中に入り込んだ妖気が彼自身の妖気と反応して強まり、人間である彼女の体内の「気」を食い荒らしているために他ならなかった。
「……邪見」
「は、はいっ!」
「この近くに薬師の妖怪がいたはずだ。……人間にも使える解毒剤を調達して来い」
「は、はいっ! 畏まりました!」
がばりと起き上がって慌てて駆け出そうとするのを制すると、阿吽に合図をして邪見を連れて行くように命じた。りんを気遣うようにそっと身を起こす騎獣の動きにあわせ、りんの身体を軽く引き寄せて支えてやると、阿吽は安心したように邪見を連れて行った。
殺生丸は己が毛皮でりんの身体を包みこんで、慎重に地面に横たえた。
妖怪であれば――余程の雑魚でもない限り――あの程度の毒気に影響されることは無いのだが、人間であるりんの身体にはかなり堪えたらしい。殺生丸も解毒の方法を心得ていない訳ではなかったのだが、それは毒と同程度の強さの妖力で中和するといったものであるので、今のように妖気に中っている相手に使うわけにはいかない。
ぐったりと毛皮の上に横たわっているりんを見やると、殺生丸は熱を持った彼女の頬に自分の掌を押し当てた。瞬間、りんの体内の妖気が反応して強まるのが感じられるが、殺生丸の意志に応じてそれは徐々に鎮まっていった。
苦しげに呻いて身じろいだりんの表情が、苦しげなものから段々と落ち着いたものに変わっていく。不規則だった息遣いも徐々に正常なそれに変わり、やがて寝息に取って代わった。
強張っていた身体からも力が抜け、自然な動作で頬に当てられた手に懐くように擦り寄ってくる。その様子はまだ本当に稚(いとけな)く、彼女がまだまだ幼いことを実感させるものだった。
「……」
殺生丸は無言のまま頬に当てていた手を滑らせ、少女の細い首筋に指を這わせた。りんは擽ったそうに首を竦めて小さく声を漏らしたが、目覚める様子は無く、殺生丸の手から逃げようともしなかった。
指先に感じる脈打つ血の流れに引き寄せられるように、殺生丸はりんの上に覆いかぶさるようにして身を屈めた。自身の中(うち)からこみ上げてくる衝動に逆らう事無く、獣の本能そのままに血の道を舌先で辿り、軽く――痛みや痕を残さぬ程度に――牙を当てて柔らかな肌の感触を確かめる。それは情欲からの行為というより、獣が自らの眷属に対して行う確認のそれに近かった。
何かの儀式めいたその行為は暫く続けられ、ややあって殺生丸が体を起こした時、その白皙の面(おもて)には何処かしら満足したような表情が浮かんでいた。
邪見に言われるままに冷たい水で顔を洗い、濡らした布で赤くなった痕を冷やすと痛みは徐々に引いていった。
それでも、未だに先程の殺生丸の行為から受けた衝撃から立ち直れずに、時折しゃくりあげるりんに、邪見は珍しく何処か躊躇うように声をかけた。
「……あのな、りん」
その声にりんが邪見のほうに顔を向ける。泣きはらして赤くなった目許を痛々しいものに見つめながらも、邪見は慎重に言葉を選びながら口を開いた。
「わしらは妖怪じゃ。……人間とは違う」
「……」
「お前は、あの木の実をくれた者には悪意を感じなかった、と言っておるが、悪意がないからといって、あの実が無害なものであったとは限らんのじゃ」
その言葉にりんは眼を伏せて、きゅっと唇を噛み締めた。
「例えば、人喰いの輩(やから)にとっては、人を喰うのは悪い事でも何でもない。……人間が魚を取って喰うのを悪いことだとは思っておらんようにな。それと同じように、人をただ愉しみの為に傷つけたり……殺したりする者にも、悪意や害意といったものは無いんじゃ」
「……」
邪見にそう言われても、りんはあの少年が自分を害そうとしたなどとは思えなかった。
彼らと一緒にいることに奇異の眼を向けてきたのは、人間ばかりではない。――いや、むしろ妖怪たちのほうが、りんの事を『異物』としてあからさまな侮蔑の視線を向けてきたのだ。
「……でも、あのひと……そんな風じゃなかった」
尚も言い募るりんに、邪見は小さくため息をついた。
「……まあ、百歩譲って、お前が言ったようにその者に悪意が無かったとしても、あの実が安全であるとは言い切れんのじゃ。妖怪には何とも無くても、人間には毒になるような物はいくらでもあるのだからな」
邪見の言葉は見事に真実の一端を衝いていたのだが、無論彼がそれを知る訳が無い。邪見はただ主の行為から、あの実は有害な――少なくともりんにとっては――物だと考えただけである。
無表情で無口で、およそ何を考えているのか解らない主であるが、彼がりんに対して意味もなく辛く当たったりすることはないと、邪見は確信していた。――長年仕えている自分に対しては、些細な事で蹴りが飛んでくる事を考えると、かなり悲しいものがあるのだが。
「……」
りんは無言のまま、水面に視線を落とした。
邪見の言っていることは正しいと、頭では理解できるのだが、心の何処かが酷く頑なになっているのも事実だった。
そんな彼女の内心を見透かしたように、邪見が問いを投げかけてくる。
「りん、考えても見ろ。殺生丸さまが今までお前に対して、意味もなく酷く当たったりされたことがあったか?」
「……ううん」
りんはゆっくりとかぶりを振った。
殺生丸が今までりんに言いつけたのは、食料や焚き火などに必要な物の自力調達だけで、その他にはこれといって厳しいことを言われた覚えは無い。りんの行動に関してあれこれと注意し、躾らしきものをしているのは、むしろ邪見のほうである。(考えようによっては、雑用は全て邪見に押し付けていると言えるかもしれない)その邪見にしても、口煩くあれこれと言ってはくるが、意味もなくりんを叱ったりすることはしない。
「そうじゃろう? だからきっと、あの実を処分されたのにも、何か理由があっての事なんじゃ。……殺生丸さまの感覚は、わしや阿吽よりずっと優れておるのじゃからな」
「……」
それでもりんは俯いたままだった。
あの時の殺生丸に感じた恐怖は、今も彼女の中に色濃く残っている。
例えそれが向けられた対象が自分ではなかったのだとしても、あの金色の瞳に宿る冷たい怒りの焔は、幼い少女の心胆を寒からしめるのに十分すぎる程のものだったのだ。
だが、りんを本当の意味で苛んでいたのはそれではなかった。
殺生丸に対し、心底から恐怖を感じた――それに対する自責の念こそが、彼女を真実苛んでいるものだった。
(……あたし、あの時……本当に怖いって、思った……)
思い返すだけでも背筋が凍りつくような恐怖が甦る。それは、幼い少女にとっては極当たり前の事だったのだが、りんにとっては恐怖を感じた事それ自体が耐えられないことだったのだ。
(殺生丸さまが、あたしを傷つけたりしないって……解ってたはずなのに。……ううん、元々あたしは殺生丸さまに助けてもらったんだから、殺されたって文句は言えないのに……)
己の生殺与奪の権利は殺生丸にあるにも拘らず、彼の行為に対して恐怖を感じた――それは、一途に妖を慕う少女の心を自責の念の只中に落とし込んだ。
りんは俯いたまま、こみあげてくる涙を誤魔化すように、濡れた布で顔を拭った。
「……だからな、そう泣くでない。――大体、わしなんぞ些細なことでしょっちゅう足蹴にされておるのじゃぞ。それに比べたらお前なんぞ恵まれておる方じゃ……」
段々と愚痴になりながらも、自分を慰めてくれている邪見に、大丈夫だからと何とか笑みを浮かべて見せると、老妖怪はほっとしたように肩の力を抜いた。
少年が消えた後も、殺生丸は暫しその場に佇んでいた。
その姿は超然とした冷徹さを湛えており、先程、本性を表しかけた事など微塵も感じさせるものではなかった。
だが、内心では――この男にしては極めて珍しいことではあったが――それこそ腸が煮えくり返るような怒りを感じていたのだ。
――あの子は我々の方に、より近しい者……
りんをまるで己のものであるかのように――そうするつもりがあることを隠そうともせずに――告げたその言葉は、酷く殺生丸の癇に触った。
だが同時に、それは相手の目的をもはっきりとさせる事ともなった。
相手の目的がはっきりとした以上、彼が取る行動はただひとつしかなく、そうする事に何の躊躇いも迷いも感じることは無かった。
(この殺生丸を敵に回した事を……)
先程引き裂いた樹が毒によって腐食し、崩れ去るのをちらりと見やって殺生丸は踵を返した。
(己の消滅と共に悔いるがいい――)
「……どういうことだ」
不機嫌さを隠そうともせずに発せられた主の言葉に、邪見は平伏して脂汗をだらだらと流しながら説明を始めた。
「……あ、あの……お、おそらく殺生丸さまの毒気と妖気に中ったのだと思います……」
殺生丸の視線の先には、阿吽に凭れてぐったりとしているりんの姿があった。息遣いは荒く、体臭も熱がこもったようなものに変化している。
邪見の説明によれば、赤くなった顎を冷やすために向かった泉からの帰り道に、いきなり倒れたのだという。小柄な邪見にりんを支えることは出来ず、慌てて阿吽を呼んで此処まで運んだのだと。
「……そ、その、つまりですな。あ、あの時に、毒気が指に残っておられたのではないかと……妖気も強まっておられましたし……」
「……」
いつ蹴りが飛んでくるかと、びくびくしながら額を地面に擦り付けている下僕を一瞥すると、殺生丸は無言のままりんの側に近づいた。
彼の気配に気づいたのか、眼を閉じてぐったりとしていたりんがのろのろと顔を上げる。
「……殺生丸さま……」
熱で潤んだ瞳がぼんやりと殺生丸の姿を映す。その様子を注意深く見つめながら、殺生丸は軽く身を屈め、手を伸ばして指先で彼女の額に触れた。
ひやりとした指が触れる感触に、りんは熱に浮かされながらも嬉しそうに顔を綻ばせた。熱を持った額に冷たい指の感触が心地よかったのもあるが、彼が自分に触れてくれたという事に対する嬉しさの方が勝っていた。
そんなりんの様子を見つめながら、殺生丸は下僕の言葉の正しさを苦々しい思いで認めていた。
りん自身は気がついていないだろうが、殺生丸が側に来たことで明らかに彼女の体調は悪化していたのだ。それは、りんの中に入り込んだ妖気が彼自身の妖気と反応して強まり、人間である彼女の体内の「気」を食い荒らしているために他ならなかった。
「……邪見」
「は、はいっ!」
「この近くに薬師の妖怪がいたはずだ。……人間にも使える解毒剤を調達して来い」
「は、はいっ! 畏まりました!」
がばりと起き上がって慌てて駆け出そうとするのを制すると、阿吽に合図をして邪見を連れて行くように命じた。りんを気遣うようにそっと身を起こす騎獣の動きにあわせ、りんの身体を軽く引き寄せて支えてやると、阿吽は安心したように邪見を連れて行った。
殺生丸は己が毛皮でりんの身体を包みこんで、慎重に地面に横たえた。
妖怪であれば――余程の雑魚でもない限り――あの程度の毒気に影響されることは無いのだが、人間であるりんの身体にはかなり堪えたらしい。殺生丸も解毒の方法を心得ていない訳ではなかったのだが、それは毒と同程度の強さの妖力で中和するといったものであるので、今のように妖気に中っている相手に使うわけにはいかない。
ぐったりと毛皮の上に横たわっているりんを見やると、殺生丸は熱を持った彼女の頬に自分の掌を押し当てた。瞬間、りんの体内の妖気が反応して強まるのが感じられるが、殺生丸の意志に応じてそれは徐々に鎮まっていった。
苦しげに呻いて身じろいだりんの表情が、苦しげなものから段々と落ち着いたものに変わっていく。不規則だった息遣いも徐々に正常なそれに変わり、やがて寝息に取って代わった。
強張っていた身体からも力が抜け、自然な動作で頬に当てられた手に懐くように擦り寄ってくる。その様子はまだ本当に稚(いとけな)く、彼女がまだまだ幼いことを実感させるものだった。
「……」
殺生丸は無言のまま頬に当てていた手を滑らせ、少女の細い首筋に指を這わせた。りんは擽ったそうに首を竦めて小さく声を漏らしたが、目覚める様子は無く、殺生丸の手から逃げようともしなかった。
指先に感じる脈打つ血の流れに引き寄せられるように、殺生丸はりんの上に覆いかぶさるようにして身を屈めた。自身の中(うち)からこみ上げてくる衝動に逆らう事無く、獣の本能そのままに血の道を舌先で辿り、軽く――痛みや痕を残さぬ程度に――牙を当てて柔らかな肌の感触を確かめる。それは情欲からの行為というより、獣が自らの眷属に対して行う確認のそれに近かった。
何かの儀式めいたその行為は暫く続けられ、ややあって殺生丸が体を起こした時、その白皙の面(おもて)には何処かしら満足したような表情が浮かんでいた。
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2005/09/28 |
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神隠しの森 〈3〉
前回連載時8〜9回を纏めました。書いていて途轍もなく楽しかった回です(^^
[神隠しの森 〈3〉] Read More↓
少女と下僕の待つ場所に向かっていた殺生丸は、嗅ぎなれない臭いを感じて僅かに眉を寄せた。
下僕と騎獣の匂いには、これといった異常は感じられない。
問題があるとするならば、それは残る一人である人間の少女に関するものであった。
「……」
殺生丸は慎重に匂いの嗅ぎ分けを行い、その結果、少女自身の匂いには特に異常がないことが判った。ただ、少女の周囲に「何か」の臭いが纏わり付いているのだ。
喜色満面で自分の許に駆け寄ってくる少女が持っている物に眼をやり、殺生丸は探るようにそれを見つめた。
「殺生丸さま、お帰りなさい!」
満開の花のような笑顔で見上げてくるりんが、殺生丸の視線の先に気が付いて、手に持った枝を掲げて見せる。
「あのね、りんがごはん探してたら、森で会った子がくれたの。とっても綺麗だから、殺生丸さまにも見せたいなぁって思って」
そう言いながら、得体の知れぬ臭いのする果実の枝を大事そうに持っているりんに、殺生丸は無言のまま手を差し出した。
「?」
意図が掴めないのか、差し出された手を見つめてきょとんとしているりんに、邪見が慌てたように話しかけてくる。
「りん、殺生丸さまにそれをお渡しするんじゃっ」
「これ?」
どうして殺生丸がそれに興味を示すのかは解らなかったが、とりあえず邪見の言うとおりに枝を渡すと、彼はいつになく厳しい眼でそれをじっと見つめていた。
「……誰に貰った?」
「え? だから、森で会った子に…」
「何者だ」
「……えっと…よく、わかんない、です……」
詰問するような口調に、りんが口ごもるのを見て、下僕の方に視線をやると、緑色の顔から血の気を引かせながらも説明を始める。
「な、何でも、見たところ十四、五歳くらいの少年に貰ったそうです。…人でないのは確かだそうですが、わしは直接は見ておりませんので、何とも……」
冷や汗をだらだらと流しながら説明する邪見に、氷のような一瞥をくれると、再びりんに向き直って問い質す。
「其奴は何と名乗った?」
殺生丸にそう訊かれて、りんはあの少年の名前を聞いていなかった事を思い出した。そこで頭(かぶり)を振ると、殺生丸はますます目許を険しくして言葉を継いだ。
「其奴に名を告げたのか?」
「え? ……んーと……あ、言わなかったなぁ…」
「言わなかったのだな」
確認するような言葉に、りんはこくりと頷いた。
「何じゃ、名も聞いておらなんだのか?」
横から邪見が訊いてくるのにも、うんと頷いて、
「名前、聞き損ねちゃってたし、りんも聞かれなかったから、言うの忘れてたみたい」
さらりとした口調でそう言うりんに、邪見は呆れたような顔になったが、それとは対照的に殺生丸の表情からは幾分険しさが薄らいだ。
これでこの話は終わりだと思ったのか、りんが殺生丸を見上げて手を差し出してくる。
「殺生丸さま、それ、返して」
彼に渡したままの枝に手を伸ばすのを軽くかわすと、果実とりんを交互に見て口を開く。
「…まだ食ってはいないのか」
「うん。殺生丸さまに見せてから、と思って我慢してたから」
だから早く返してくれというりんを、感情の伺えない金色の眼で見下ろして、殺生丸は枝を持った手に意識を集中させた。
「?」
怪訝そうなりんの目の前で、殺生丸の毒爪に掴まれた枝がみるみるうちに腐食していく。
「! あーっ! 何するんですか!?」
慌てて手を伸ばすりんを、それ以上に慌てた様子で引き止めたのは阿吽と邪見である。双頭竜はそれぞれの頭でりんの着物の襟と二の腕の辺りを咥えて主から引き離し、邪見も前に回りこんで彼女の膝を押して殺生丸との距離を開いた。
「ば、馬鹿者! 何をしておるか! お前なんぞが殺生丸さまの毒気に中ったら、ひとたまりもないのだぞっ!」
「だって、あれ…!」
りんが抗議している間に、枝と果実は僅かな腐汁と化して地面に滴った。その場の下草もみるみるうちにどす黒く変色していく。殺生丸は軽く手を振って腐汁を払いのけると、邪見と阿吽に押さえ込まれているりんに鋭い目を向けた。
「其奴に名を告げず、この果実も食わなかったのだな」
念を押すようにそう告げるのに、りんが珍しく反抗的な眼で見上げてきて、無言でこくりと頷いた。
実際、りんはかなり腹を立てていたのだ。大切な食料を台無しにされた、というのもあったが、人から貰った物を無碍に扱われた、というのが主な原因だった。妖怪と一緒にいる事に奇異の眼を向けようとしなかった少年に、りんは好意にも似た感情を抱いていたのだ。
むっとしたような表情のりんを見て何を思ったのか、殺生丸はりんの方にやってきて、無言のままその小さな頤〈おとがい)を強く掴んで彼女の口をこじ開けた。痛みにりんの顔が泣き出しそうに歪むが、それにも構わずにそのこじ開けた口元をじっと見つめる。
痛みと毒に対する本能的な恐怖で、りんの身体が強張っているのを感じとってはいたが、己の感覚できちんと確認しないと気が済まなかったのだ。
ややあって殺生丸が指を離すと、掴まれていたところは赤く痕が残っていた。解放された途端、その場にへたりこんで、ひくりとしゃくりあげたりんを、邪見が慌てて宥め始める。
「……なんで……こんなこと、するの……?」
痛む顎を押さえて、しゃくりあげながらそう言うりんに何も答えようとせず、殺生丸は彼らに背を向けて歩き始めた。
「せ、殺生丸さま、何処へ行かれるのですか?」
りんを宥めていた邪見が慌てて後を追う。
「あ、あの……りんが何かお気に触る事をしでかしたのでしたら、わしがちゃんと言って聞かせますから、殺生丸さまがわざわざ仰る必要は……ふぐぉっ!」
彼が不機嫌なのを察して、あれこれと言ってくる邪見を蹴り飛ばすと、殺生丸は地を蹴ってその場を後にした。
ややあって、殺生丸が降り立ったのは、りんがあの少年と出会った場所であった。
「出て来い。此処にいるのは判っている」
不機嫌なのを隠そうともせずに、鋭い声でそう言うと、金色の眼である一点を見据える。
だが、彼の声に応えるものはなく、ただ鳥の声と葉擦れの音がするだけだった。
殺生丸は苛立たしげに舌打ちすると、隻腕をあげて側にある樹に手をかけ、毒爪をその幹に突き立てた。強い毒に侵された樹が、瞬く間に腐食してどす黒く変色していく。
「……出て来い」
地を這うような低い声でそう言うと同時に、毒に侵された樹が脆い細工物のようにぐしゃりと崩れた。
「……随分と、酷いことをするね」
柔らかな声とともにその場に唐突に出現した少年に、殺生丸は刃のような視線を向けた。
少年は端正な顔立ちを些か厳しいものにして、その視線を受け止めた。それからその深緑の瞳を崩れた樹に向ける。妖の毒に侵された樹が、その場の大地をも腐食しているのを見て取ると、不快そうに眉を寄せ、軽く右手を振った。
その瞬間、腐食した樹は砂のようにさらさらと風化していき、どす黒く変色していた大地も――枯れた下生えの草はどうしようもなかったが――元の色を取り戻した。
それを見届けると、少年は小さくため息をついて殺生丸に向き直った。
「八つ当たりはやめて欲しいね」
「ならば、このような物を連れに渡したりするべきではなかったな」
そう言うなり右手を一閃させ、何かを少年に向かって投げつける。それを少し頭を動かしただけで避けた少年の側の樹の幹に、ぐしゃりという音を立てて潰れた木の実がへばりついた。途端、周囲に甘ったるい臭いが漂う。それは、りんがこの少年から貰い、殺生丸の毒によって一つ残らず腐汁と成り果てた筈の不思議な果実に間違いなかった。
「……おや、食べなかったんだね」
ちらりとそれに眼をやり、何でもないような口調で呟く。
潰れた果実がへばりついた箇所が、じわじわと変色していく。……それは、殺生丸の爪の毒には遠く及ばないまでも、人間なら――それも幼い少女であれば――命を落とすのに十分な強さの毒がこの果実に含まれていることを示していた。
「本当に、酷いことをする」
柔らかな口調でそう言うと、少年は樹に手を触れた。それと同時に変色していた場所が、元の木肌の色になっていく。
慈しむように樹を撫で、少年はその深緑の瞳で殺生丸をじっと見据えた。
「……なるほど、狗の仔か。それならば鼻も利くな」
くつりと喉の奥で嗤う少年に、殺生丸は鋭い目を向けた。
「妖が人の娘に執着するとは……面白い。実に、面白いな」
形の良い唇の端を吊り上げ、昏い愉悦の色を含んだ笑みを浮かべる。もしりんが今の少年を見ていたら、決して彼に近寄ろうとはしなかっただろう。
「貴様には関係ない」
くすくすと少年が楽しそうに笑う。
「あの子が名乗らなかったからといって、安心するのはどうかな」
そう言いながら、再び傍らの樹に手をかける。深緑の瞳と髪が、不可思議な光を帯びて煌いた。
「あれが名乗らねば、名は取れまい」
殺生丸の言葉に少年は声を立てて笑った。
「確かに。あの子は不思議な子だね。――無意識のうちに、私に名を告げる事を避けていた」
少年が傍らの樹を見やり、それから殺生丸に視線を戻す。その口元が歪み、ひとつの言葉が紡ぎ出される。
「りん、と言うんだね」
いい名前だと、歌うように呟くのを聞いた瞬間、殺生丸の表情が変わった。それを面白そうに見ながら、少年は森の中を見透かそうとするかのように、視線を流した。
「……たとえ名乗らずとも、この森の樹々たちに訊けばすぐに分かる」
平然とした口調でそう言う少年に、殺生丸が鋭い視線を向ける。
「すぐに答えが返ってきたよ。……あの愛らしい子の名は『りん』だとね」
「……名を知ってはいても、あれから直接聞いたのでなければ意味はあるまい」
殺生丸の言葉に少年の唇の端が吊り上がる。
「……あの子が、君ほど己の名の価値を知っていればね」
ざわりと殺生丸の周囲の空気が蠢き、その両眼が血の色に染まっていく。普通の人間や並の妖怪であれば、発狂しかねないほどの強烈な妖気がその場に渦巻くが、少年は僅かに片方の眉を上げただけで平然としていた。
「何故あれを狙う」
「あの子は我々の方により近しい者。……妖怪などと共にあるべきではない」
いつの間にか、後ろで束ねられていた筈の深緑の髪が解かれ、それ自体が意志を持つかのように少年の身体の周りでざわめく。
「手っ取り早く引き離すために、あのような小細工をしたか」
毒の果実を渡したことを仄めかすと、少年はくつくつと喉の奥で嗤った。
「『門』をくぐるのに、肉体など必要ない」
それを聞いた瞬間、殺生丸の右手が一閃し、少年の身体を引き裂いた――かに見えたが、実際にその爪が引き裂いたのは、その側の樹であった。
「肉体が無ければ、その忌々しい刀も役には立たぬ」
瞬時に別の場所に移動した少年が、天生牙を見据えて呟く。
「……ここは『境の森』。――このような場所に、あの子を連れてくるべきではなかったな。狗の仔よ」
嘲笑うようなその言葉を残して、少年の姿はかき消すように消えた。
下僕と騎獣の匂いには、これといった異常は感じられない。
問題があるとするならば、それは残る一人である人間の少女に関するものであった。
「……」
殺生丸は慎重に匂いの嗅ぎ分けを行い、その結果、少女自身の匂いには特に異常がないことが判った。ただ、少女の周囲に「何か」の臭いが纏わり付いているのだ。
喜色満面で自分の許に駆け寄ってくる少女が持っている物に眼をやり、殺生丸は探るようにそれを見つめた。
「殺生丸さま、お帰りなさい!」
満開の花のような笑顔で見上げてくるりんが、殺生丸の視線の先に気が付いて、手に持った枝を掲げて見せる。
「あのね、りんがごはん探してたら、森で会った子がくれたの。とっても綺麗だから、殺生丸さまにも見せたいなぁって思って」
そう言いながら、得体の知れぬ臭いのする果実の枝を大事そうに持っているりんに、殺生丸は無言のまま手を差し出した。
「?」
意図が掴めないのか、差し出された手を見つめてきょとんとしているりんに、邪見が慌てたように話しかけてくる。
「りん、殺生丸さまにそれをお渡しするんじゃっ」
「これ?」
どうして殺生丸がそれに興味を示すのかは解らなかったが、とりあえず邪見の言うとおりに枝を渡すと、彼はいつになく厳しい眼でそれをじっと見つめていた。
「……誰に貰った?」
「え? だから、森で会った子に…」
「何者だ」
「……えっと…よく、わかんない、です……」
詰問するような口調に、りんが口ごもるのを見て、下僕の方に視線をやると、緑色の顔から血の気を引かせながらも説明を始める。
「な、何でも、見たところ十四、五歳くらいの少年に貰ったそうです。…人でないのは確かだそうですが、わしは直接は見ておりませんので、何とも……」
冷や汗をだらだらと流しながら説明する邪見に、氷のような一瞥をくれると、再びりんに向き直って問い質す。
「其奴は何と名乗った?」
殺生丸にそう訊かれて、りんはあの少年の名前を聞いていなかった事を思い出した。そこで頭(かぶり)を振ると、殺生丸はますます目許を険しくして言葉を継いだ。
「其奴に名を告げたのか?」
「え? ……んーと……あ、言わなかったなぁ…」
「言わなかったのだな」
確認するような言葉に、りんはこくりと頷いた。
「何じゃ、名も聞いておらなんだのか?」
横から邪見が訊いてくるのにも、うんと頷いて、
「名前、聞き損ねちゃってたし、りんも聞かれなかったから、言うの忘れてたみたい」
さらりとした口調でそう言うりんに、邪見は呆れたような顔になったが、それとは対照的に殺生丸の表情からは幾分険しさが薄らいだ。
これでこの話は終わりだと思ったのか、りんが殺生丸を見上げて手を差し出してくる。
「殺生丸さま、それ、返して」
彼に渡したままの枝に手を伸ばすのを軽くかわすと、果実とりんを交互に見て口を開く。
「…まだ食ってはいないのか」
「うん。殺生丸さまに見せてから、と思って我慢してたから」
だから早く返してくれというりんを、感情の伺えない金色の眼で見下ろして、殺生丸は枝を持った手に意識を集中させた。
「?」
怪訝そうなりんの目の前で、殺生丸の毒爪に掴まれた枝がみるみるうちに腐食していく。
「! あーっ! 何するんですか!?」
慌てて手を伸ばすりんを、それ以上に慌てた様子で引き止めたのは阿吽と邪見である。双頭竜はそれぞれの頭でりんの着物の襟と二の腕の辺りを咥えて主から引き離し、邪見も前に回りこんで彼女の膝を押して殺生丸との距離を開いた。
「ば、馬鹿者! 何をしておるか! お前なんぞが殺生丸さまの毒気に中ったら、ひとたまりもないのだぞっ!」
「だって、あれ…!」
りんが抗議している間に、枝と果実は僅かな腐汁と化して地面に滴った。その場の下草もみるみるうちにどす黒く変色していく。殺生丸は軽く手を振って腐汁を払いのけると、邪見と阿吽に押さえ込まれているりんに鋭い目を向けた。
「其奴に名を告げず、この果実も食わなかったのだな」
念を押すようにそう告げるのに、りんが珍しく反抗的な眼で見上げてきて、無言でこくりと頷いた。
実際、りんはかなり腹を立てていたのだ。大切な食料を台無しにされた、というのもあったが、人から貰った物を無碍に扱われた、というのが主な原因だった。妖怪と一緒にいる事に奇異の眼を向けようとしなかった少年に、りんは好意にも似た感情を抱いていたのだ。
むっとしたような表情のりんを見て何を思ったのか、殺生丸はりんの方にやってきて、無言のままその小さな頤〈おとがい)を強く掴んで彼女の口をこじ開けた。痛みにりんの顔が泣き出しそうに歪むが、それにも構わずにそのこじ開けた口元をじっと見つめる。
痛みと毒に対する本能的な恐怖で、りんの身体が強張っているのを感じとってはいたが、己の感覚できちんと確認しないと気が済まなかったのだ。
ややあって殺生丸が指を離すと、掴まれていたところは赤く痕が残っていた。解放された途端、その場にへたりこんで、ひくりとしゃくりあげたりんを、邪見が慌てて宥め始める。
「……なんで……こんなこと、するの……?」
痛む顎を押さえて、しゃくりあげながらそう言うりんに何も答えようとせず、殺生丸は彼らに背を向けて歩き始めた。
「せ、殺生丸さま、何処へ行かれるのですか?」
りんを宥めていた邪見が慌てて後を追う。
「あ、あの……りんが何かお気に触る事をしでかしたのでしたら、わしがちゃんと言って聞かせますから、殺生丸さまがわざわざ仰る必要は……ふぐぉっ!」
彼が不機嫌なのを察して、あれこれと言ってくる邪見を蹴り飛ばすと、殺生丸は地を蹴ってその場を後にした。
ややあって、殺生丸が降り立ったのは、りんがあの少年と出会った場所であった。
「出て来い。此処にいるのは判っている」
不機嫌なのを隠そうともせずに、鋭い声でそう言うと、金色の眼である一点を見据える。
だが、彼の声に応えるものはなく、ただ鳥の声と葉擦れの音がするだけだった。
殺生丸は苛立たしげに舌打ちすると、隻腕をあげて側にある樹に手をかけ、毒爪をその幹に突き立てた。強い毒に侵された樹が、瞬く間に腐食してどす黒く変色していく。
「……出て来い」
地を這うような低い声でそう言うと同時に、毒に侵された樹が脆い細工物のようにぐしゃりと崩れた。
「……随分と、酷いことをするね」
柔らかな声とともにその場に唐突に出現した少年に、殺生丸は刃のような視線を向けた。
少年は端正な顔立ちを些か厳しいものにして、その視線を受け止めた。それからその深緑の瞳を崩れた樹に向ける。妖の毒に侵された樹が、その場の大地をも腐食しているのを見て取ると、不快そうに眉を寄せ、軽く右手を振った。
その瞬間、腐食した樹は砂のようにさらさらと風化していき、どす黒く変色していた大地も――枯れた下生えの草はどうしようもなかったが――元の色を取り戻した。
それを見届けると、少年は小さくため息をついて殺生丸に向き直った。
「八つ当たりはやめて欲しいね」
「ならば、このような物を連れに渡したりするべきではなかったな」
そう言うなり右手を一閃させ、何かを少年に向かって投げつける。それを少し頭を動かしただけで避けた少年の側の樹の幹に、ぐしゃりという音を立てて潰れた木の実がへばりついた。途端、周囲に甘ったるい臭いが漂う。それは、りんがこの少年から貰い、殺生丸の毒によって一つ残らず腐汁と成り果てた筈の不思議な果実に間違いなかった。
「……おや、食べなかったんだね」
ちらりとそれに眼をやり、何でもないような口調で呟く。
潰れた果実がへばりついた箇所が、じわじわと変色していく。……それは、殺生丸の爪の毒には遠く及ばないまでも、人間なら――それも幼い少女であれば――命を落とすのに十分な強さの毒がこの果実に含まれていることを示していた。
「本当に、酷いことをする」
柔らかな口調でそう言うと、少年は樹に手を触れた。それと同時に変色していた場所が、元の木肌の色になっていく。
慈しむように樹を撫で、少年はその深緑の瞳で殺生丸をじっと見据えた。
「……なるほど、狗の仔か。それならば鼻も利くな」
くつりと喉の奥で嗤う少年に、殺生丸は鋭い目を向けた。
「妖が人の娘に執着するとは……面白い。実に、面白いな」
形の良い唇の端を吊り上げ、昏い愉悦の色を含んだ笑みを浮かべる。もしりんが今の少年を見ていたら、決して彼に近寄ろうとはしなかっただろう。
「貴様には関係ない」
くすくすと少年が楽しそうに笑う。
「あの子が名乗らなかったからといって、安心するのはどうかな」
そう言いながら、再び傍らの樹に手をかける。深緑の瞳と髪が、不可思議な光を帯びて煌いた。
「あれが名乗らねば、名は取れまい」
殺生丸の言葉に少年は声を立てて笑った。
「確かに。あの子は不思議な子だね。――無意識のうちに、私に名を告げる事を避けていた」
少年が傍らの樹を見やり、それから殺生丸に視線を戻す。その口元が歪み、ひとつの言葉が紡ぎ出される。
「りん、と言うんだね」
いい名前だと、歌うように呟くのを聞いた瞬間、殺生丸の表情が変わった。それを面白そうに見ながら、少年は森の中を見透かそうとするかのように、視線を流した。
「……たとえ名乗らずとも、この森の樹々たちに訊けばすぐに分かる」
平然とした口調でそう言う少年に、殺生丸が鋭い視線を向ける。
「すぐに答えが返ってきたよ。……あの愛らしい子の名は『りん』だとね」
「……名を知ってはいても、あれから直接聞いたのでなければ意味はあるまい」
殺生丸の言葉に少年の唇の端が吊り上がる。
「……あの子が、君ほど己の名の価値を知っていればね」
ざわりと殺生丸の周囲の空気が蠢き、その両眼が血の色に染まっていく。普通の人間や並の妖怪であれば、発狂しかねないほどの強烈な妖気がその場に渦巻くが、少年は僅かに片方の眉を上げただけで平然としていた。
「何故あれを狙う」
「あの子は我々の方により近しい者。……妖怪などと共にあるべきではない」
いつの間にか、後ろで束ねられていた筈の深緑の髪が解かれ、それ自体が意志を持つかのように少年の身体の周りでざわめく。
「手っ取り早く引き離すために、あのような小細工をしたか」
毒の果実を渡したことを仄めかすと、少年はくつくつと喉の奥で嗤った。
「『門』をくぐるのに、肉体など必要ない」
それを聞いた瞬間、殺生丸の右手が一閃し、少年の身体を引き裂いた――かに見えたが、実際にその爪が引き裂いたのは、その側の樹であった。
「肉体が無ければ、その忌々しい刀も役には立たぬ」
瞬時に別の場所に移動した少年が、天生牙を見据えて呟く。
「……ここは『境の森』。――このような場所に、あの子を連れてくるべきではなかったな。狗の仔よ」
嘲笑うようなその言葉を残して、少年の姿はかき消すように消えた。
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神隠しの森 〈2〉
前回連載時4〜7回までを纏めました。
4を書いている辺りから、方向性を変えようかと思い始め…今に至ります(苦笑)
[神隠しの森 〈2〉] Read More↓
4を書いている辺りから、方向性を変えようかと思い始め…今に至ります(苦笑)
翌日りんは、朝のうちから食料探しをしていた。
明るいうちだと村人が入ってくるかもしれないから、という理由で邪見は阿吽と共に森の奥で待っている。
しばらく探し回ったが、見つかったのは酸味の強い草の実が少しだけで、腹が膨れるようなものではない。
少し疲れたので、樹の根元に腰を下ろして休んでいると、ふと着物から覗く手足に目が行った。
「……着物、小さくなってるなぁ……」
今着ている着物は、邪見が何ヶ月か前に調達してきてくれたものだ。何でも、機織などを専門にしている妖怪の手になるものとかで、ちょっとやそっとでは破れたりしないが、大きさはどうしようもない。とはいっても、りんが育ち盛りであることを見越して、肩や裾の縫い上げには余裕を持たせてあるから、それを出せばもうしばらくは着られる。
――人間の成長は早いな。
はみ出した手首を隠そうとするかのように袖口を引っ張っていると、不意に、この着物を持ってきてくれたときの邪見の言葉が脳裡を過ぎった。
新しい着物にはしゃいでいるりんを見上げながら、どこかしみじみとした口調でそう言った邪見の姿が小さく見えたのを思い出したのだ。
りんはぎゅっと着物の袖を握り締めた。
(……りんだけが、大きくなってる……)
旅を始めた頃は考えたこともなかったことだった。
ただひたすらに、殺生丸の後を着いて行く事だけに必死だったあの頃は、邪見が何かにつけて口喧しく言っていた妖怪と人間の差異など、殆ど耳には入っていなかったのだから。
だが、歳月が過ぎるにつれ、邪見が言っていたことの意味をりんも知るようになった。
かつてはそれほど差が無かった老妖怪との目線の高さが段々と開いていった事や。
地面にぴたりと腹這いになってもらわなければ、その背に乗ることが出来なかった双頭竜に、軽く膝を折ってもらうだけで乗れるようになった事だとか。
そして、以前は思いっきり首を逸らさないと見上げることの出来なかった、かの大妖の横顔を、今では少し仰向いただけで見つめられるようになった事が、りんに彼らと自分との間の時の流れの差異を突きつけることとなったのだ。
この数年、彼らと共にいることで奇異の目を向けられたことも一度や二度ではない。
中には面と向かってりんの『間違い』を正そうとする者や、りんもろとも殺生丸を倒そうとした者などもいた。
だがりんは彼らと袂を分かつことは無く、後者は自らの命でその無謀さのつけを支払うことになった。
そういったことがあると、どうしてもりんの中で拭いきれない不安が影を落とす。
いつまで一緒にいられるのだろうか。
共にあることを許されるのは、いつまでなのだろうか――
何かの弾みで一人になると、そういった考えがじわじわと心に押し寄せてくる。
りんは漠然とした不安感から逃れようとするかのように、立てた膝に顔を埋めた。
そんな彼女の様子を、じっと伺っている視線には気づかないままに。
暫く経ってから、りんは食料調達を再開した。
悩んでじっとしていても物事が解決するわけではない、というのが旅を続けていく中で彼女が身に付けた知恵である。
すぐに食べられるものでなくても、薬草でも見つかれば何かと役に立つ。
「糒もあるし、いざとなったら阿吽に少し遠くの村までつれていってもらえば、また何か交換してもらえるもんね」
自分に言い聞かせるようにそう呟くと、藪の中などを覗き込む。
――へぇ、ここに………が、いるなんてね……
「?」
何かが聞こえたような気がして、りんは顔を上げた。
気配のする方に振り向くと、少し離れた木の側に何かが見えた――ような気がした。
「……?」
眉間に皺を寄せるようにして、じっとそのあたりを見つめていると、今度ははっきりと人影が見えた。
「……誰かいるの?」
この森には殆ど人が入らないと聞いてはいたが、薬草摘みや薪を取りに入ってきている人がいるのかもしれない。
(邪見さまや阿吽と一緒じゃなくてよかったかも…)
内心そう思いながら見つめていると、人影の方でもその気配に気がついたのか、木の陰から姿を見せた。
りんはきょとんとなった。木の陰から現れたのは、彼女と幾つも歳の変わらないような少年だったのだ。
(琥珀とおんなじくらいかな?)
知り合いの少年を思い出して、りんの警戒心が少しほぐれた。
少年は髪を無造作に後ろで括り、変わった形の着物を纏っていた。それは水干と呼ばれる古い時代の装束だったが、りんにそのような事が判る訳もなく、ただ「変わった形の着物だなぁ」と思っただけだった。
りんがじっと見つめていると、少年はにこりと人懐こい笑みを浮かべて近づいてきた。
「何を探してるの?」
「え?」
柔らかな声で質問されて、一瞬りんの反応が遅れる。少年はそんなりんの様子を見て、小さく首を傾げると、何かを見定めようとするかのように、僅かに目を細めた。
「このあたりの子じゃ、ないよね?」
確認するように言われた言葉に、りんは思わず頷いていた。見たことも無い形の着物に見とれていた事に気づいて、少しばつの悪い感じがする。
頷いた後、りんははっとしたように手で口元を押さえていた。
こういった人里近くの森で何かを採ったりするときは、見つからないようにしなければならないことを思い出したのだ。森の木々やそこに生える草は、貧しい村にとって貴重な資源であるので、余所者にそれを採られることを警戒する事はあれど、快く思うことはない。
(…どうしよう…村の人に言いつけられたら…)
りんが困惑しているのを見て取ったのか、少年は微笑したまま軽く身を屈めて彼女の顔を覗きこんだ。
「大丈夫。村の者に言ったりしないよ」
「……え?」
驚いたように見上げてくるりんの眼を見つめて、少年は悪戯っぽい仕草で自分の眼を指差して見せた。釣られたようにりんは彼の眼をじっと見つめ、数瞬後あっと小さく声を上げた。
「眼が、緑色…」
遠目ではそれと判らなかったが、間近で見た少年の瞳は深い緑色をしており、髪もまた漆黒と見紛うほどに深い緑色であったのだ。
どちらも人の持つ色彩ではありえない。
「…人間じゃ、ないの…?」
呆然としたりんの問いかけに、少年がこくりと頷く。
それを見たりんの肩からほっと力が抜ける。その様子を、少年は面白そうに見ていた。
「変わった子だね」
「え?」
くすくすと笑いながらそう言われて、りんがきょとんとなると、少年はますます可笑しそうに声を立てて笑った。
「『人間だ』っていって安心するなら解るけど、『人間じゃない』って言って安心されたのは初めてだよ」
「…あ」
「まあ、私としては嬉しいけど」
再び困ったような表情になったりんを落ち着かせるようにそう言うと、少年はふと何かに気づいたように顔を上げた。その唇に一瞬、今までりんに向けていたそれとは異なる笑みが浮かべられる。
だがりんはそれには気づかずに、何とか説明しようと言葉を捜していた。
「…あのね、あたしの連れのひとも、あ、人じゃないか……えと…その……妖怪、だから……」
しどろもどろになりながらも、何とか説明しようとする。
「へえ、妖怪と一緒にいるの?」
「…うん」
人ならざる少年は、幼い少女が妖怪と共にいると聞いても驚いた様子は無かった。そういった反応はりんにとっては珍しいものであると同時に、どこかしらくすぐったいような嬉しさも含んだものだった。
「すっごく、強くて綺麗なひとなの。それにね、とっても優しいんだよ」
邪見以外の相手に殺生丸のことを話せるのが嬉しくて、りんは花が咲いたような笑顔で少年を見上げた。その輝く瞳を見つめて、少年がぽつりと呟く。
「……君は、不思議な子だね」
「?」
いきなりそんな事を言われて、きょとんとしているりんに笑いかけると、少年は右手を左の水干の袖に入れて、中から赤い実のついた木の枝を取り出した。手妻(手品)のようなその仕草に、りんが驚いたように何度か瞬きをする。
「あげるよ」
「え? ……いいの?」
「ああ。それはとても美味しいから、食べてみるといい」
受け取った木の枝には真っ赤な木の実が三個ついていた。ちょうど赤子の拳くらいの大きさで、とても艶やかで瑞々しく、見るからに美味そうだった。
「いい匂い」
鼻を近づけてみると、何ともいえず甘い匂いがする。
「食べてみるといい」
少年が勧めるのに頷きかけて、りんはふと思いついたように顔を上げた。
「…ねえ、これすぐに傷むような物なの?」
「? いや、枝から離さない限りしばらくは保つよ」
「じゃあ、今食べなくてもいいよね」
「……?」
りんの言葉に少年が怪訝そうな顔になる。それにりんは少し照れくさそうに笑って、
「あのね、とっても綺麗だから、殺生丸さまにも見せたいなあって思って」
「……そう」
「うん」
少年は心なしか残念そうな表情になったが、特にそれ以上勧めるでもなく引き下がった。
少年に礼を言って別れると、りんはそのまま邪見と阿吽が待つ森の奥へと走っていった。
その間にも不思議な果実は甘い匂いでりんを誘惑したが、『殺生丸さまが帰ってきてから』と思って、何とか我慢する。
「邪見さま、阿吽、ただいま!」
元気の良い挨拶と共に戻ってきたりんに、阿吽に凭れて舟を漕いでいた邪見が顔を上げる。
「…んあ? ああ、戻ってきたのか。……ん? 何じゃ、その木の実は」
こしこしと眼を擦りながら立ち上がりかけて、りんが持っている枝の果実に気が付いて訊いてくる。阿吽も興味深そうに二つの首を伸ばして、ふんふんと匂いを嗅いでいた。
「駄目だよ、阿吽。殺生丸さまに見せるんだから。――あのね、森で会ったひとに貰ったの」
双頭竜を軽く制して、邪見に答える。
「貰ったじゃと?」
「うん」
主の名を聞いて首を引っ込めた竜の代わりのように、今度は邪見が身を乗り出してきた。
「…はて、何の実じゃろうな?」
暫く観察した後、怪訝そうな表情で首を傾げる。それが意外だったのか、りんがぱちくりと瞬きをする。
「邪見さまも知らないの?」
「ぐっ……う、煩いわい! 生り物の種類なんぞ、いちいち覚えとる訳が無いだろうが! 人間の食い物など、わしらには必要ないんじゃからな!」
図星を突かれた邪見が怒鳴ると、りんはああと納得したように頷いた。
「そういえば、殺生丸さまも邪見さまも、ごはん食べないよね。……お酒飲んでるのは見たことあるけど」
思い返せば、初めて会ったときにも「人間の食い物は口に合わない」とか言っていた覚えがある。
「……でも、これくれたひと、人間じゃなかったよ」
苦し紛れの邪見の台詞に、一人で納得していたりんがぽつりと呟いたのを聞いて、邪見の眼が見開かれる。
「ななな、何じゃと!?」
緑色の顔から血の気が引いて、こころなしか青味が増したように見える。慌てる邪見とは裏腹に、りんはきょとんとしていた。
「い、一体、どのような者から貰ったのじゃ?」
「あのね、髪と眼が緑だったよ」
「髪と眼が?」
「うん。…何だか、変わった形の着物を着てて……」
説明しかけて、ふと何かに気が付いたように邪見の着物を見つめる。
「あ、邪見さまの着物に、少し似てるかも。……それから…りんより、少し大きかった。琥珀とおんなじくらいだと思うよ」
それから、とりんが自分の感じた印象を一所懸命に説明していると、邪見はますます怪訝そうな表情になった。
「……木霊、ではないようじゃな。はて…一体、何者じゃろう?」
「木霊さんじゃないの?」
少年が手妻のように木の枝を取り出したのを見て、てっきり植物関係の妖怪だと思っていたりんが小首を傾げる。
「昨日教えたじゃろうが。木霊は子供の姿をしておると」
「でも、りんとそんなに変わらないくらいだったよ」
それならば十分「子供」の範疇に入るのではないだろうか、と思ってそう言うが、邪見は頭を振ってそれを否定した。
「木霊は、本当の幼子の姿なんじゃ。……人間でいうなら、三つかそこらくらいのな」
それを聞いてりんも納得した。それならば確かに、あの少年とはかなり違う。
「嫌な感じはしなかったけど……」
りんの言葉に、邪見はがっくりと肩を落とした。
悪意が無いからといって、その相手が良い者だとは限らないのが妖怪の常であるというのに、この少女は未だにそのあたりのことを理解していないのだ。
ここはやはり一言言っておくべきだろうかと、邪見が口を開きかけたとき、阿吽が何かに気が付いたように顔を上げた。
「どうした? 阿吽」
それに釣られたようにりんと邪見もそちらに顔を向けて、同時に主の名を叫んでいた。
「殺生丸さま!」
一行の主が、そこに佇んでいた。
明るいうちだと村人が入ってくるかもしれないから、という理由で邪見は阿吽と共に森の奥で待っている。
しばらく探し回ったが、見つかったのは酸味の強い草の実が少しだけで、腹が膨れるようなものではない。
少し疲れたので、樹の根元に腰を下ろして休んでいると、ふと着物から覗く手足に目が行った。
「……着物、小さくなってるなぁ……」
今着ている着物は、邪見が何ヶ月か前に調達してきてくれたものだ。何でも、機織などを専門にしている妖怪の手になるものとかで、ちょっとやそっとでは破れたりしないが、大きさはどうしようもない。とはいっても、りんが育ち盛りであることを見越して、肩や裾の縫い上げには余裕を持たせてあるから、それを出せばもうしばらくは着られる。
――人間の成長は早いな。
はみ出した手首を隠そうとするかのように袖口を引っ張っていると、不意に、この着物を持ってきてくれたときの邪見の言葉が脳裡を過ぎった。
新しい着物にはしゃいでいるりんを見上げながら、どこかしみじみとした口調でそう言った邪見の姿が小さく見えたのを思い出したのだ。
りんはぎゅっと着物の袖を握り締めた。
(……りんだけが、大きくなってる……)
旅を始めた頃は考えたこともなかったことだった。
ただひたすらに、殺生丸の後を着いて行く事だけに必死だったあの頃は、邪見が何かにつけて口喧しく言っていた妖怪と人間の差異など、殆ど耳には入っていなかったのだから。
だが、歳月が過ぎるにつれ、邪見が言っていたことの意味をりんも知るようになった。
かつてはそれほど差が無かった老妖怪との目線の高さが段々と開いていった事や。
地面にぴたりと腹這いになってもらわなければ、その背に乗ることが出来なかった双頭竜に、軽く膝を折ってもらうだけで乗れるようになった事だとか。
そして、以前は思いっきり首を逸らさないと見上げることの出来なかった、かの大妖の横顔を、今では少し仰向いただけで見つめられるようになった事が、りんに彼らと自分との間の時の流れの差異を突きつけることとなったのだ。
この数年、彼らと共にいることで奇異の目を向けられたことも一度や二度ではない。
中には面と向かってりんの『間違い』を正そうとする者や、りんもろとも殺生丸を倒そうとした者などもいた。
だがりんは彼らと袂を分かつことは無く、後者は自らの命でその無謀さのつけを支払うことになった。
そういったことがあると、どうしてもりんの中で拭いきれない不安が影を落とす。
いつまで一緒にいられるのだろうか。
共にあることを許されるのは、いつまでなのだろうか――
何かの弾みで一人になると、そういった考えがじわじわと心に押し寄せてくる。
りんは漠然とした不安感から逃れようとするかのように、立てた膝に顔を埋めた。
そんな彼女の様子を、じっと伺っている視線には気づかないままに。
暫く経ってから、りんは食料調達を再開した。
悩んでじっとしていても物事が解決するわけではない、というのが旅を続けていく中で彼女が身に付けた知恵である。
すぐに食べられるものでなくても、薬草でも見つかれば何かと役に立つ。
「糒もあるし、いざとなったら阿吽に少し遠くの村までつれていってもらえば、また何か交換してもらえるもんね」
自分に言い聞かせるようにそう呟くと、藪の中などを覗き込む。
――へぇ、ここに………が、いるなんてね……
「?」
何かが聞こえたような気がして、りんは顔を上げた。
気配のする方に振り向くと、少し離れた木の側に何かが見えた――ような気がした。
「……?」
眉間に皺を寄せるようにして、じっとそのあたりを見つめていると、今度ははっきりと人影が見えた。
「……誰かいるの?」
この森には殆ど人が入らないと聞いてはいたが、薬草摘みや薪を取りに入ってきている人がいるのかもしれない。
(邪見さまや阿吽と一緒じゃなくてよかったかも…)
内心そう思いながら見つめていると、人影の方でもその気配に気がついたのか、木の陰から姿を見せた。
りんはきょとんとなった。木の陰から現れたのは、彼女と幾つも歳の変わらないような少年だったのだ。
(琥珀とおんなじくらいかな?)
知り合いの少年を思い出して、りんの警戒心が少しほぐれた。
少年は髪を無造作に後ろで括り、変わった形の着物を纏っていた。それは水干と呼ばれる古い時代の装束だったが、りんにそのような事が判る訳もなく、ただ「変わった形の着物だなぁ」と思っただけだった。
りんがじっと見つめていると、少年はにこりと人懐こい笑みを浮かべて近づいてきた。
「何を探してるの?」
「え?」
柔らかな声で質問されて、一瞬りんの反応が遅れる。少年はそんなりんの様子を見て、小さく首を傾げると、何かを見定めようとするかのように、僅かに目を細めた。
「このあたりの子じゃ、ないよね?」
確認するように言われた言葉に、りんは思わず頷いていた。見たことも無い形の着物に見とれていた事に気づいて、少しばつの悪い感じがする。
頷いた後、りんははっとしたように手で口元を押さえていた。
こういった人里近くの森で何かを採ったりするときは、見つからないようにしなければならないことを思い出したのだ。森の木々やそこに生える草は、貧しい村にとって貴重な資源であるので、余所者にそれを採られることを警戒する事はあれど、快く思うことはない。
(…どうしよう…村の人に言いつけられたら…)
りんが困惑しているのを見て取ったのか、少年は微笑したまま軽く身を屈めて彼女の顔を覗きこんだ。
「大丈夫。村の者に言ったりしないよ」
「……え?」
驚いたように見上げてくるりんの眼を見つめて、少年は悪戯っぽい仕草で自分の眼を指差して見せた。釣られたようにりんは彼の眼をじっと見つめ、数瞬後あっと小さく声を上げた。
「眼が、緑色…」
遠目ではそれと判らなかったが、間近で見た少年の瞳は深い緑色をしており、髪もまた漆黒と見紛うほどに深い緑色であったのだ。
どちらも人の持つ色彩ではありえない。
「…人間じゃ、ないの…?」
呆然としたりんの問いかけに、少年がこくりと頷く。
それを見たりんの肩からほっと力が抜ける。その様子を、少年は面白そうに見ていた。
「変わった子だね」
「え?」
くすくすと笑いながらそう言われて、りんがきょとんとなると、少年はますます可笑しそうに声を立てて笑った。
「『人間だ』っていって安心するなら解るけど、『人間じゃない』って言って安心されたのは初めてだよ」
「…あ」
「まあ、私としては嬉しいけど」
再び困ったような表情になったりんを落ち着かせるようにそう言うと、少年はふと何かに気づいたように顔を上げた。その唇に一瞬、今までりんに向けていたそれとは異なる笑みが浮かべられる。
だがりんはそれには気づかずに、何とか説明しようと言葉を捜していた。
「…あのね、あたしの連れのひとも、あ、人じゃないか……えと…その……妖怪、だから……」
しどろもどろになりながらも、何とか説明しようとする。
「へえ、妖怪と一緒にいるの?」
「…うん」
人ならざる少年は、幼い少女が妖怪と共にいると聞いても驚いた様子は無かった。そういった反応はりんにとっては珍しいものであると同時に、どこかしらくすぐったいような嬉しさも含んだものだった。
「すっごく、強くて綺麗なひとなの。それにね、とっても優しいんだよ」
邪見以外の相手に殺生丸のことを話せるのが嬉しくて、りんは花が咲いたような笑顔で少年を見上げた。その輝く瞳を見つめて、少年がぽつりと呟く。
「……君は、不思議な子だね」
「?」
いきなりそんな事を言われて、きょとんとしているりんに笑いかけると、少年は右手を左の水干の袖に入れて、中から赤い実のついた木の枝を取り出した。手妻(手品)のようなその仕草に、りんが驚いたように何度か瞬きをする。
「あげるよ」
「え? ……いいの?」
「ああ。それはとても美味しいから、食べてみるといい」
受け取った木の枝には真っ赤な木の実が三個ついていた。ちょうど赤子の拳くらいの大きさで、とても艶やかで瑞々しく、見るからに美味そうだった。
「いい匂い」
鼻を近づけてみると、何ともいえず甘い匂いがする。
「食べてみるといい」
少年が勧めるのに頷きかけて、りんはふと思いついたように顔を上げた。
「…ねえ、これすぐに傷むような物なの?」
「? いや、枝から離さない限りしばらくは保つよ」
「じゃあ、今食べなくてもいいよね」
「……?」
りんの言葉に少年が怪訝そうな顔になる。それにりんは少し照れくさそうに笑って、
「あのね、とっても綺麗だから、殺生丸さまにも見せたいなあって思って」
「……そう」
「うん」
少年は心なしか残念そうな表情になったが、特にそれ以上勧めるでもなく引き下がった。
少年に礼を言って別れると、りんはそのまま邪見と阿吽が待つ森の奥へと走っていった。
その間にも不思議な果実は甘い匂いでりんを誘惑したが、『殺生丸さまが帰ってきてから』と思って、何とか我慢する。
「邪見さま、阿吽、ただいま!」
元気の良い挨拶と共に戻ってきたりんに、阿吽に凭れて舟を漕いでいた邪見が顔を上げる。
「…んあ? ああ、戻ってきたのか。……ん? 何じゃ、その木の実は」
こしこしと眼を擦りながら立ち上がりかけて、りんが持っている枝の果実に気が付いて訊いてくる。阿吽も興味深そうに二つの首を伸ばして、ふんふんと匂いを嗅いでいた。
「駄目だよ、阿吽。殺生丸さまに見せるんだから。――あのね、森で会ったひとに貰ったの」
双頭竜を軽く制して、邪見に答える。
「貰ったじゃと?」
「うん」
主の名を聞いて首を引っ込めた竜の代わりのように、今度は邪見が身を乗り出してきた。
「…はて、何の実じゃろうな?」
暫く観察した後、怪訝そうな表情で首を傾げる。それが意外だったのか、りんがぱちくりと瞬きをする。
「邪見さまも知らないの?」
「ぐっ……う、煩いわい! 生り物の種類なんぞ、いちいち覚えとる訳が無いだろうが! 人間の食い物など、わしらには必要ないんじゃからな!」
図星を突かれた邪見が怒鳴ると、りんはああと納得したように頷いた。
「そういえば、殺生丸さまも邪見さまも、ごはん食べないよね。……お酒飲んでるのは見たことあるけど」
思い返せば、初めて会ったときにも「人間の食い物は口に合わない」とか言っていた覚えがある。
「……でも、これくれたひと、人間じゃなかったよ」
苦し紛れの邪見の台詞に、一人で納得していたりんがぽつりと呟いたのを聞いて、邪見の眼が見開かれる。
「ななな、何じゃと!?」
緑色の顔から血の気が引いて、こころなしか青味が増したように見える。慌てる邪見とは裏腹に、りんはきょとんとしていた。
「い、一体、どのような者から貰ったのじゃ?」
「あのね、髪と眼が緑だったよ」
「髪と眼が?」
「うん。…何だか、変わった形の着物を着てて……」
説明しかけて、ふと何かに気が付いたように邪見の着物を見つめる。
「あ、邪見さまの着物に、少し似てるかも。……それから…りんより、少し大きかった。琥珀とおんなじくらいだと思うよ」
それから、とりんが自分の感じた印象を一所懸命に説明していると、邪見はますます怪訝そうな表情になった。
「……木霊、ではないようじゃな。はて…一体、何者じゃろう?」
「木霊さんじゃないの?」
少年が手妻のように木の枝を取り出したのを見て、てっきり植物関係の妖怪だと思っていたりんが小首を傾げる。
「昨日教えたじゃろうが。木霊は子供の姿をしておると」
「でも、りんとそんなに変わらないくらいだったよ」
それならば十分「子供」の範疇に入るのではないだろうか、と思ってそう言うが、邪見は頭を振ってそれを否定した。
「木霊は、本当の幼子の姿なんじゃ。……人間でいうなら、三つかそこらくらいのな」
それを聞いてりんも納得した。それならば確かに、あの少年とはかなり違う。
「嫌な感じはしなかったけど……」
りんの言葉に、邪見はがっくりと肩を落とした。
悪意が無いからといって、その相手が良い者だとは限らないのが妖怪の常であるというのに、この少女は未だにそのあたりのことを理解していないのだ。
ここはやはり一言言っておくべきだろうかと、邪見が口を開きかけたとき、阿吽が何かに気が付いたように顔を上げた。
「どうした? 阿吽」
それに釣られたようにりんと邪見もそちらに顔を向けて、同時に主の名を叫んでいた。
「殺生丸さま!」
一行の主が、そこに佇んでいた。
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2005/09/28 |
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神隠しの森 〈1〉
前回連載時、1〜3回分を纏めました。
[神隠しの森 〈1〉] Read More↓
神隠しの森
おいで おいで こちらにおいで
たそがれどきには あちらがちかい
おいき おいき あちらにおいき
ゆうぐれどきには こちらがとおい
ゆくな ゆくな あちらにいくな
ゆうまぐれには あちらがちかい
おもどり おもどり こちらにおもどり
おうまがどきには とおではならぬ
あちらとこちらの さかいがずれる
こちらとあちらの へだてがとれる
「かみかくしのもり?」
村人の言葉に、少女はきょとんと首を傾げた。薬草と交換してもらった糒(ほしいい)の包みを懐にしまって、男が指差す方向を見つめる。
「何だ、知らねえだか? あそこは『神隠しの森』って言ってな、日が落ちたら、絶対に入っちゃなんねえとこなんだぞ」
「ふうん?」
それでもまだ腑に落ちないような少女の様子に、壮年の男は、むっとしたように眉を寄せた。
「嬢ちゃんは旅のもんだから、知らんだろうがな。日が暮れた後もあそこにおったばっかりに、森の魔物に喰われちまった子が、何人もいるんだぞ」
どれだけ探しても子供の骸(むくろ)は見つからず、ただ着ていた着物の切れ端が見つかっただけだった、とか、その切れ端は血で汚れていたなどというような事を、大袈裟な身振りを交えて話す男に、少女は困ったような目を向けた。
「森の魔物は、日のあるうちは何にもしねえ。だがな、日が暮れちまったら、森の中にいちゃいけねえんだ。嬢ちゃんのつれにも、ちゃあんと伝えるんだぞ」
「……うん」
曖昧な表情で頷くと、少女はぺこりと頭を下げて、連れが待つという森の方へと駆け出していった。
地元の者が「神隠しの森」と呼ぶ森の中を少女は進んでいた。途中、何かを確認するように木の根元を見ながら、徐々に道から外れて奥のほうに入っていく。その様子には不安げなものはなく、彼女が確信を持ってそう進んでいるのは間違いなかった。
やがて、樵や薬草摘みの者でさえも分け入ることを躊躇うような奥深くまで進むと、少女の顔がほっとしたようなものになる。
あと少しで連れの許へ戻れる。
そう思って足を速めた少女の近くの藪の中で、がさり、と何か大きな生き物の動く気配がした。
少女の足が止まり、大きな黒い眼が何かを探るように、じっと藪を見つめる。
「…阿吽?」
確認するように呼びかける声に応えるように、大きく藪が揺れ、異形の獣の首が二本突き出された。その頭部は緑色の鱗に覆われ、口元には鋭い牙が見え隠れしている。そしてよくよく見てみると、その首は二つとも同じ胴体から生えていた。この獣は竜の一種、それも双頭竜であった。
「阿吽」
普通の人の子であれば、悲鳴を上げて逃げ出すところであるが、少女は笑ってその竜に両手を差し出した。竜も二つの首を伸ばして、少女の小さな手が鱗に覆われた鼻面を撫でるのに任せた。
「迎えに来てくれたの? ありがとう」
どういたしまして、とでも言うかのように右側(少女から見て左側)の首が彼女の肩に乗せられる。
竜の二つの首に挟まれるようにして少女が向かった先では、緑色の小妖怪がうろうろと所在無げに歩き回っていた。
「邪見さま、ただいまぁ」
少女の声に妖怪は振り返ると、すかさず一言「遅い!」と怒鳴りつけた。
「大体、たかが物々交換にいったいどれだけかかっておるんじゃ」
「りんのせいじゃないもん」
早速始まった邪見のお小言に、りんが可愛らしく唇を尖らせて言い返す。それで思い出したのか、「ねえねえ」と問いかける。
「この森ね、おじさんが『かみかくしのもり』って言ってたけど、邪見さまは知ってた?」
りんの質問に、ふんと馬鹿にしたように鼻を鳴らすと、当たり前じゃと胸を張ってみせる。
「ここはな、妖(あやかし)達の間で、『境の森』として知られておる場所なのじゃ」
「さかいのもり? 『かみかくしのもり』じゃないの?」
「それは人間どもの呼ぶ名じゃ。わしらは『境の森』と呼んでおる」
「ふうん」
小首を傾げるりんに、邪見は更に説明を続けた。
「まあ、呼び名はどうでも良いわ。…とにかく、この森は妖怪たちの領域と接しておってな、そのせいで人里の近くにあるが、人間どももあまり近づこうとせん。……まあ、それでも百年に一人か二人は引きずり込まれる奴がおるらしいが」
「ひとりかふたり? そのくらいなの?」
「当たり前じゃ、『門』が開くときに行き合わせる人間なんぞ、そうおる訳が無いわ」
『門』というのは一体何だろうかと思ったりんだったが、それは後回しにすることにして、最初に気になったことを口にする。
「でも、おじさんの話だと、子供とかがたくさん魔物に食べられちゃったって…」
「子供を近づけんために、大袈裟に言っておるに決まっておろうが」
「でも、着物に血がついてたって、言ってたよ」
「…まあ、もし何かに喰われたのだとしても、おおかた森の獣じゃろうて。人喰いの類は、あんまりここにはおらんからの」
「そうなの?」
「人間のお前には解らんだろうがな、ああいった族(やから)はあまり『境の森』にはおらんものなんじゃ」
「ふうん…じゃあ、どういう妖怪さんがいるの?」
「まあ、色々じゃが。大体、木霊(こだま)のような、植物のものが多いな」
心底感心したように聞くりんの様子に、邪見は幾分か誇らしげな気持で胸を張ってみせた。
日頃、主(あるじ)に(文字通り)踏んだり蹴ったりの目に合わされている身としては、こういった些細なことで感心されるのは気分のいいものである。りんの子供ならではの無邪気な無神経さには、時折ひどく苛々させられることもあるが、基本的な性格が素直に出来ている彼女に懐かれるのはそう悪いものではなかった。
……もっとも、りんが一番懐いているのが、日頃あれこれと世話をしてやっている自分ではなくて、あの無愛想極まりない主であることを考えると、些か複雑な気分になるのだったが。
「ねえ、木霊さんてどんな妖怪さんなの?」
「そうじゃな…まあ、種類によって様々じゃが、大体子供のような姿をしておるな」
「……前に会った事のある、木のお爺ちゃんとは違うの?」
りんにそう訊かれて、一瞬邪見は考え込み、すぐに朴仙翁の事かと思い至って「違うな」と答えた。
「朴仙翁はな、木そのものだが、木霊は木の精気が凝って生まれたもんなんじゃ。……まあ、いわば木の実みたいなもんだな。生えている場所から動けん朴仙翁とかと違って、木霊はある程度自由に動ける。ただし、元になった木と木霊は繋がっておるから、木の方にもしものことがあったら、木霊もただではすまん。本体の木に何かせん限り、争いごとに首を突っ込んだりしないおとなしい連中じゃ」
りんが良く解らないような顔をしていたので、解りやすいように言い換えて更に付け加える。
一所懸命に邪見の話を聞いていたりんはといえば、いきなり大量に詰めこまれた知識に、理解力の方が追いついてない状態であった。それでも何とか頭の中である程度の整理をつける。
「じゃあ、ここにいても危なくないんだ」
「当たり前じゃ。そもそも殺生丸さまがおられるのに、『危ない』などということがあるものか」
ふん、と鼻息を吐き出すと、我が事のように自慢げに言ってのける。
「でも殺生丸さま、いつ戻ってくるの?」
りんの素朴な質問に、邪見がぐっと詰まる。
例によって一人でふらりと出かけた殺生丸を見送ったのが、二日前の事である。それから二人と一匹はここで主が戻ってくるのを待っているのだ。別に何処か別の場所に移動していても構わないのだが(彼の鼻にかかれば居場所などすぐに知れるのだから)、勝手に動くのはやはり憚られたし、それに何より、もし勝手に動いたことでりんにもしもの事があったらと思うと、自然と邪見の思考は『この場所で待つ』という選択を弾き出したのである。
それは、かつてこの少女が一行に加わった当初のような、打算的なものばかりではなくて(多少はそれもあるが)、彼女の身を案じる思いからでもあった。
「糒、少し多めに交換してもらったけど、あんまり何度もあそこには行けないよねぇ……」
何の気なしに質問はしたが、別に答えを期待していた訳ではなかったのか、りんは糒の包みを見つめて少し考え込む様子だった。
今回のように人里近くに留まるとなると、問題になるのがりんの食料確保である。何度も同じ場所の畑を荒らすのは、貧しい村に育ったりんにはやはり気が咎める事であったし、そんなことをしたら見つかりやすくなってしまうのも事実であった。そのため最近は、旅の途中で見つけた珍しい薬草などを食料や僅かな金銭と交換したり、といったこともするようになっている。
もっともこの方法も、同じ村で何度も続けては使えないのが問題ではあったのだが。
時期的に野山での食糧調達にもそう困ることは無いが、やはりある程度の量は確保しておきたい、というのが育ち盛りで食べ盛りの少女の偽らざる本音であった。
「後で何か探せばよかろう」
「……うん」
りんは曖昧な返事をすると、包みを懐にしまった。
その様子に何かしら、違和感のようなものを感じながらも、邪見はその事に意識を向けないようにした。
おいで おいで こちらにおいで
たそがれどきには あちらがちかい
おいき おいき あちらにおいき
ゆうぐれどきには こちらがとおい
ゆくな ゆくな あちらにいくな
ゆうまぐれには あちらがちかい
おもどり おもどり こちらにおもどり
おうまがどきには とおではならぬ
あちらとこちらの さかいがずれる
こちらとあちらの へだてがとれる
「かみかくしのもり?」
村人の言葉に、少女はきょとんと首を傾げた。薬草と交換してもらった糒(ほしいい)の包みを懐にしまって、男が指差す方向を見つめる。
「何だ、知らねえだか? あそこは『神隠しの森』って言ってな、日が落ちたら、絶対に入っちゃなんねえとこなんだぞ」
「ふうん?」
それでもまだ腑に落ちないような少女の様子に、壮年の男は、むっとしたように眉を寄せた。
「嬢ちゃんは旅のもんだから、知らんだろうがな。日が暮れた後もあそこにおったばっかりに、森の魔物に喰われちまった子が、何人もいるんだぞ」
どれだけ探しても子供の骸(むくろ)は見つからず、ただ着ていた着物の切れ端が見つかっただけだった、とか、その切れ端は血で汚れていたなどというような事を、大袈裟な身振りを交えて話す男に、少女は困ったような目を向けた。
「森の魔物は、日のあるうちは何にもしねえ。だがな、日が暮れちまったら、森の中にいちゃいけねえんだ。嬢ちゃんのつれにも、ちゃあんと伝えるんだぞ」
「……うん」
曖昧な表情で頷くと、少女はぺこりと頭を下げて、連れが待つという森の方へと駆け出していった。
地元の者が「神隠しの森」と呼ぶ森の中を少女は進んでいた。途中、何かを確認するように木の根元を見ながら、徐々に道から外れて奥のほうに入っていく。その様子には不安げなものはなく、彼女が確信を持ってそう進んでいるのは間違いなかった。
やがて、樵や薬草摘みの者でさえも分け入ることを躊躇うような奥深くまで進むと、少女の顔がほっとしたようなものになる。
あと少しで連れの許へ戻れる。
そう思って足を速めた少女の近くの藪の中で、がさり、と何か大きな生き物の動く気配がした。
少女の足が止まり、大きな黒い眼が何かを探るように、じっと藪を見つめる。
「…阿吽?」
確認するように呼びかける声に応えるように、大きく藪が揺れ、異形の獣の首が二本突き出された。その頭部は緑色の鱗に覆われ、口元には鋭い牙が見え隠れしている。そしてよくよく見てみると、その首は二つとも同じ胴体から生えていた。この獣は竜の一種、それも双頭竜であった。
「阿吽」
普通の人の子であれば、悲鳴を上げて逃げ出すところであるが、少女は笑ってその竜に両手を差し出した。竜も二つの首を伸ばして、少女の小さな手が鱗に覆われた鼻面を撫でるのに任せた。
「迎えに来てくれたの? ありがとう」
どういたしまして、とでも言うかのように右側(少女から見て左側)の首が彼女の肩に乗せられる。
竜の二つの首に挟まれるようにして少女が向かった先では、緑色の小妖怪がうろうろと所在無げに歩き回っていた。
「邪見さま、ただいまぁ」
少女の声に妖怪は振り返ると、すかさず一言「遅い!」と怒鳴りつけた。
「大体、たかが物々交換にいったいどれだけかかっておるんじゃ」
「りんのせいじゃないもん」
早速始まった邪見のお小言に、りんが可愛らしく唇を尖らせて言い返す。それで思い出したのか、「ねえねえ」と問いかける。
「この森ね、おじさんが『かみかくしのもり』って言ってたけど、邪見さまは知ってた?」
りんの質問に、ふんと馬鹿にしたように鼻を鳴らすと、当たり前じゃと胸を張ってみせる。
「ここはな、妖(あやかし)達の間で、『境の森』として知られておる場所なのじゃ」
「さかいのもり? 『かみかくしのもり』じゃないの?」
「それは人間どもの呼ぶ名じゃ。わしらは『境の森』と呼んでおる」
「ふうん」
小首を傾げるりんに、邪見は更に説明を続けた。
「まあ、呼び名はどうでも良いわ。…とにかく、この森は妖怪たちの領域と接しておってな、そのせいで人里の近くにあるが、人間どももあまり近づこうとせん。……まあ、それでも百年に一人か二人は引きずり込まれる奴がおるらしいが」
「ひとりかふたり? そのくらいなの?」
「当たり前じゃ、『門』が開くときに行き合わせる人間なんぞ、そうおる訳が無いわ」
『門』というのは一体何だろうかと思ったりんだったが、それは後回しにすることにして、最初に気になったことを口にする。
「でも、おじさんの話だと、子供とかがたくさん魔物に食べられちゃったって…」
「子供を近づけんために、大袈裟に言っておるに決まっておろうが」
「でも、着物に血がついてたって、言ってたよ」
「…まあ、もし何かに喰われたのだとしても、おおかた森の獣じゃろうて。人喰いの類は、あんまりここにはおらんからの」
「そうなの?」
「人間のお前には解らんだろうがな、ああいった族(やから)はあまり『境の森』にはおらんものなんじゃ」
「ふうん…じゃあ、どういう妖怪さんがいるの?」
「まあ、色々じゃが。大体、木霊(こだま)のような、植物のものが多いな」
心底感心したように聞くりんの様子に、邪見は幾分か誇らしげな気持で胸を張ってみせた。
日頃、主(あるじ)に(文字通り)踏んだり蹴ったりの目に合わされている身としては、こういった些細なことで感心されるのは気分のいいものである。りんの子供ならではの無邪気な無神経さには、時折ひどく苛々させられることもあるが、基本的な性格が素直に出来ている彼女に懐かれるのはそう悪いものではなかった。
……もっとも、りんが一番懐いているのが、日頃あれこれと世話をしてやっている自分ではなくて、あの無愛想極まりない主であることを考えると、些か複雑な気分になるのだったが。
「ねえ、木霊さんてどんな妖怪さんなの?」
「そうじゃな…まあ、種類によって様々じゃが、大体子供のような姿をしておるな」
「……前に会った事のある、木のお爺ちゃんとは違うの?」
りんにそう訊かれて、一瞬邪見は考え込み、すぐに朴仙翁の事かと思い至って「違うな」と答えた。
「朴仙翁はな、木そのものだが、木霊は木の精気が凝って生まれたもんなんじゃ。……まあ、いわば木の実みたいなもんだな。生えている場所から動けん朴仙翁とかと違って、木霊はある程度自由に動ける。ただし、元になった木と木霊は繋がっておるから、木の方にもしものことがあったら、木霊もただではすまん。本体の木に何かせん限り、争いごとに首を突っ込んだりしないおとなしい連中じゃ」
りんが良く解らないような顔をしていたので、解りやすいように言い換えて更に付け加える。
一所懸命に邪見の話を聞いていたりんはといえば、いきなり大量に詰めこまれた知識に、理解力の方が追いついてない状態であった。それでも何とか頭の中である程度の整理をつける。
「じゃあ、ここにいても危なくないんだ」
「当たり前じゃ。そもそも殺生丸さまがおられるのに、『危ない』などということがあるものか」
ふん、と鼻息を吐き出すと、我が事のように自慢げに言ってのける。
「でも殺生丸さま、いつ戻ってくるの?」
りんの素朴な質問に、邪見がぐっと詰まる。
例によって一人でふらりと出かけた殺生丸を見送ったのが、二日前の事である。それから二人と一匹はここで主が戻ってくるのを待っているのだ。別に何処か別の場所に移動していても構わないのだが(彼の鼻にかかれば居場所などすぐに知れるのだから)、勝手に動くのはやはり憚られたし、それに何より、もし勝手に動いたことでりんにもしもの事があったらと思うと、自然と邪見の思考は『この場所で待つ』という選択を弾き出したのである。
それは、かつてこの少女が一行に加わった当初のような、打算的なものばかりではなくて(多少はそれもあるが)、彼女の身を案じる思いからでもあった。
「糒、少し多めに交換してもらったけど、あんまり何度もあそこには行けないよねぇ……」
何の気なしに質問はしたが、別に答えを期待していた訳ではなかったのか、りんは糒の包みを見つめて少し考え込む様子だった。
今回のように人里近くに留まるとなると、問題になるのがりんの食料確保である。何度も同じ場所の畑を荒らすのは、貧しい村に育ったりんにはやはり気が咎める事であったし、そんなことをしたら見つかりやすくなってしまうのも事実であった。そのため最近は、旅の途中で見つけた珍しい薬草などを食料や僅かな金銭と交換したり、といったこともするようになっている。
もっともこの方法も、同じ村で何度も続けては使えないのが問題ではあったのだが。
時期的に野山での食糧調達にもそう困ることは無いが、やはりある程度の量は確保しておきたい、というのが育ち盛りで食べ盛りの少女の偽らざる本音であった。
「後で何か探せばよかろう」
「……うん」
りんは曖昧な返事をすると、包みを懐にしまった。
その様子に何かしら、違和感のようなものを感じながらも、邪見はその事に意識を向けないようにした。
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2005/09/28 |
- 連載 |
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- ▲
更新してみました。
ブログのテンプレートを変更してみました。
色々なデザインを見ているだけでも楽しいですね。
これから連載の編集にかかります。予定としては、長い回はそのまま、短いのは2回分を纏めることになると思います。
何とか、今日中に2本くらいは載せられるといいのですが…
色々なデザインを見ているだけでも楽しいですね。
これから連載の編集にかかります。予定としては、長い回はそのまま、短いのは2回分を纏めることになると思います。
何とか、今日中に2本くらいは載せられるといいのですが…
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2005/09/28 |
- 雑記 |
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連載物について
前のブログでの連載物については、回によって長短の差が結構あるので、ある程度編集してから載せるようにします。
とりあえず明日から載せるようにします。
(その間に、少しでも続きを…(^_^;)
当初予定していた以上に厄介な代物になってしまいましたが、(脳内でいろいろな場面だけは出てくるのに、それに関連性が全然ないため、話として仕上げにくい…)まあ、頑張って仕上げますので、見捨てないでやってください。m(_ _)m
書きたいネタは山ほどあるので、気合を入れていこうと思ってます。
それでは本日はこの辺で。
とりあえず明日から載せるようにします。
(その間に、少しでも続きを…(^_^;)
当初予定していた以上に厄介な代物になってしまいましたが、(脳内でいろいろな場面だけは出てくるのに、それに関連性が全然ないため、話として仕上げにくい…)まあ、頑張って仕上げますので、見捨てないでやってください。m(_ _)m
書きたいネタは山ほどあるので、気合を入れていこうと思ってます。
それでは本日はこの辺で。
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2005/09/27 |
- 雑記 |
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第2弾
7月に某所で行われていたチャット会にて、隻腕の兄のお着替え事情についての話題が出ました。そこでふと思いついたネタです。
妖怪の説明については、昔読んだ妖怪図鑑からのうろ覚えの知識と、後創作用に作った部分がありますので、鵜呑みにはしないで下さいね。
[第2弾] Read More↓
妖怪の説明については、昔読んだ妖怪図鑑からのうろ覚えの知識と、後創作用に作った部分がありますので、鵜呑みにはしないで下さいね。
小袖の手
刀鍛冶が去った後、木立ちの中へと歩み去った殺生丸の後姿を見送りながら、りんは「ねえねえ」と邪見の着物の袖を引っ張った。
「殺生丸さま、何しに行ったの?」
「身形を整えに行かれたに決まっておろうが」
「……お着替えするの?」
「まあ、そんなところじゃ」
ふうんと納得しながら、ふと気がついたように邪見に問いかける。
「邪見さま、殺生丸さまのお着替えのお手伝いしないの?」
りんの質問に、邪見が呆れたように彼女を見上げる。
「わしの背丈で、殺生丸さまのお召し変えのお手伝いが出来るわけないじゃろうが」
確かにその通りである。
しかしそうなると、いったいどうやって着替えているのだろうか。今更言うまでもないが、彼は隻腕である。そして、着物や袴といったものは、片手で着脱するには――脱ぐ分には何とかなるかもしれないが――かなり無理のある代物なのだ。
りんが殺生丸の一行に加わってそれなりの月日が経っているが、彼女がそういった疑問を抱いたことは今まで無かった。
ある意味間の抜けた話であるが、それも無理はなかったかもしれない。まめに着物を洗ったり、繕ったりしなければならないりんと違って、殺生丸の装いはいつも整っていたからだ。戦闘の後などは流石に少し乱れた感じになるが、それもいつの間にか整えられているのが常であった。
殺生丸は大妖怪であり、身に付けているものも妖怪の手になる物であるから、人間の使うそれとは違うのだろうと漠然と思っていたのだが、妖怪であろうと人間であろうと、着替えるときには帯や紐を締めたり結んだりしなければならないことには変わりない。
「でも、帯とか一人で大丈夫なの?」
「殺生丸さまは大妖怪じゃぞ。そのくらいの事、何でもないわ」
妖力でそのくらいは簡単だと仄めかすが、りんには今ひとつ飲み込めないらしく、小首を傾げている。
「……それにな、殺生丸さまのお召し物には、『小袖の手』が憑けてあるから、問題は無いんじゃ」
もう少し解りやすいように言ってやるか、と思ってそう言うと、りんの顔が更にきょとんとしたものになる。
「……こそでのて?」
明らかに理解してない口調でそう繰り返すのに、邪見が呆れたような顔になるが、考えてみれば普通の人間が知っている筈も無いものの事ではある。
「『小袖の手』というのは、まあ……妖怪の一種じゃな。代々受け継がれた着物などに精が宿って生じた手だけの妖怪で、着付けなどを手伝ったりするんじゃ」
気を取り直して、簡単に説明してやると、りんが感心したように眼を瞬かせる。
「へえ、便利な妖怪さんなんだね。……あれ? じゃあ、殺生丸さまの着物って、おとうやおじいちゃんのお古なの?」
「馬鹿な事を言うでないっ、殺生丸さまのお召し物が古着などである筈が無いじゃろうが!」
「え? でも、古い着物の妖怪さんなんでしょ?」
大真面目にそう訊いてくるりんに、思わず肩を落としてしまう邪見であった。
子供らしいと言えばそうなのだが、『小袖の手』の説明の方に気を取られて、その前に話した事が意識の外に追いやられてしまったらしい。
「……あのな、さっき『憑けてある』と言ったじゃろうが。妖怪の着物なら、新しい物でもいいんじゃ」
「ふうん、そうなんだ」
納得したように頷いて、殺生丸が向かった先に眼をやる。そんな彼女には構わずに、邪見は滔々と説明を続けていた。
「……しかし、殺生丸さまほどの御方のお世話を申し付けるのじゃから、そんじょそこらの雑魚を使うわけにはいかん。ああいった者の中でも、特に優れたものを選び出して憑けておる。着付けだけでなく、ある程度、自力での再生も可能なくらい妖力の強いものをな。だから、殺生丸さまのお召し物はつねにきちんとしておられる。人間の着物から生じた連中なんぞとは比べもんにならん。
りん、お前もおなごの端くれなのじゃから、少しは殺生丸さまを見習って身形に気を遣うといった事を覚えた方が……って、おい、りん? 何処へ行ったんじゃ?」
薀蓄を語っているうちに、りんへのお小言が邪見の口をついて出てきて、彼女の方に顔を向けるが、既にりんはその場にはいなかった。
邪見が説明に夢中になっている間に、りんはそっとその場から離れて殺生丸を探しに木立ちの中へと走っていった。
急げば『小袖の手』とやらが、殺生丸に着物を着せているところを見られるかもしれない。
(着物から手が生えてるって、どんなんだろう? ……やっぱり袖のところから生えてるのかな?)
邪見の説明を聞いているうちに、りんはその『小袖の手』という妖怪が見たくて見たくて堪らなくなってきたのだ。
子供らしい好奇心に駆られ、彼の姿を探していると、まもなく木立の向こうに白銀に輝くものが見えてきた。思わず歩調を緩めて足音を忍ばせるようにするが、考えてみればすぐに匂いで自分が来たことは判る筈だと思いなおして、そのまま普通に歩き始める。
そしてりんが考えていた通り、殺生丸は彼女がやって来ていることに気がついていた。下僕と一緒にいた少女の匂いが、こちらに向かっているのを察して、軽く張り巡らせていた結界を解いて、自分の姿が見えるようにしてやる。
着物の脇から生えている(様に見える)細い腕が、上帯を整えてからすうっと消えるのを見やると、そっとこちらを窺っている少女に向かって声をかける。
「りん、何をしている」
その声に、りんはびくっと肩を震わせて恐る恐るといったように木の陰から出てきた。
何か言いたそうではあるが、何を言っていいのか分からない、といった感じの少女に無言で側に来るように促すと、ほっとしたように駆け寄って来た。
「……私の着物がどうかしたか?」
いつもなら、真っ直ぐに自分の眼を見上げてくる少女が、珍しく視線を落として己の着物を見つめているのに気づいてそう問いかけると、少し考えるような表情をしてから口を開いた。
「あのね、邪見さまが、殺生丸さまのお着物には『こそでのて』っていう妖怪さんがいるって教えてくれたの」
「……」
「お着替えとか手伝ってくれるっていうから、どんなのかな、って思って」
こちらを見上げてそう言いながらも、時折ちらりと視線が袖の方に行く。余程気になるらしい。
「……見たいのか」
別に放っておいてもいいのだが、いつも真っ直ぐに自分に向けられている少女の意識が散漫になっているというのはあまり面白いものではなく、ふとそんな言葉が口をついて出た。
「え? いいの?」
途端、りんの表情がぱあっと明るくなる。
それを見下ろしながら、軽く意識を集中して、『小袖の手』に左袖の方から出てくるように促すと、やがて一対の青白い腕が袖口から伸びてきた。本来は、着付けのとき以外には姿を現さないものであるため、何処か落ちつかないような感覚が伝わってくる。
「わぁ……」
いつもはただ風に揺れるだけの左袖から、細い腕が現れたのを見て、りんが小さく声を洩らす。
「……触っても大丈夫?」
しばらく色々な角度から眺めていたが、ややあって好奇心を抑えきれなくなったのかそう訊いてくる。
「別に構わんが」
「でも、急に触ったら驚いたりしない?」
「……?」
「だって、見たり聞いたり出来ないでしょ」
「……」
殺生丸には一瞬何のことだか解らなかったが、その後に続けられたりんの言葉で漸く納得した。手だけのモノだから視覚や聴覚が無いのだと思っているのだ。
「我らのような目や耳は無いが、それに代わる感覚はちゃんとある」
「へえ……そうなんだ」
殺生丸の言葉に、りんが不思議そうに『小袖の手』の指先を見つめる。
妖怪である殺生丸にとって、目や耳と言った外的器官の有無が、即そういった知覚の有無に結びつかないため(妖力でその辺りは何とでもなる)、りんの疑問は妙に目新しく感じられた。
りんがそっと『小袖の手』の甲の辺りに触れると、一瞬驚いたようにびくりと動いたが、殺生丸が無言で命じるとおとなしくなった。それでも、他者――憑いている着物の主以外――に触れられる事など初めてであるため、落ち着かない様子ではある。
「わぁ、すべすべしてる。お姫さまの手みたい。……指も長くてきれいなんだ……すごーい……」
始めこそ恐る恐ると言った感じで触れていたが、『小袖の手』がおとなしくしているのに安心したのか、両手で包み込むようにして触れてくる。
「……りんや邪見さまだと、ちっちゃいから殺生丸さまのお手伝いが出来ないんだ。でも、『こそでのて』さんがちゃんとお手伝いしてくれるんだったら、大丈夫だね」
にこにこしてそう言いながら、少し冷たい細い手を撫でる。まるで何かの仔を撫でるかのようなその仕草に、『小袖の手』が戸惑っているのがはっきりと判る。
そろそろ頃合かと思い、りんに手を離すように言おうとした矢先、殺生丸の知覚に奇妙な感覚が伝わってきた。
「……?」
それが何であるかを見極める前に、左袖から伸びた『小袖の手』がりんの手から離れ、その襟元に伸ばされる。りんがきょとんとしている間に、細い手は器用に彼女の襟を整え、肩に手をかけて後ろを向かせると、少し緩んでいた帯の結び目を直してやった。
「……あ、緩くなってたんだ。ありがとう」
礼を言われて、少し戸惑ったように細い手の動きが止まる。何処かしら妙に暖かな感覚が伝わってきて、殺生丸もまた困惑して『小袖の手』を見下ろした。
最初から妖怪として生を受けた者、あるいは人や獣が妖怪化したものとは違い、器物から生じたものたちは自我意識というものが希薄な傾向がある。彼らにとって「関係」と言うものは、本体である器物の持ち主と己の意志だけのものなのである。それが他者に興味を示し、あまつさえ着物を直してやるといったことまでしている。
りんの事が気に入ったのか、と無言で問いかけると、肯定の感覚が伝わってくる。
「……」
とりあえず姿を見せるのはもういいと命ずると、細い手はするすると殺生丸の左袖に引っ込んだ。細い指先が袖の中に消えると同時に、再び左袖は空になり、力なく風に揺れた。
その様子をじっと見つめていたりんが、殺生丸を見上げてにっこりと笑う。
「殺生丸さまの言ったとおりだね。目とかが無くても、ちゃんとりんの事がわかるんだ」
「……」
「帯のいろんな結び方とかも知ってるのかな?」
「……さあな」
恐らくは知っているだろうが、殺生丸自身はそういったことに何ら興味が無いため、その知識を生かす機会は――彼の着物に憑いている限り――無いであろう。
彼の返事にこころなしか残念そうに左袖を見つめているりんに、殺生丸は内心でため息をついた。
この少女が他者に対してかなり懐っこいというのは解っているが、誰彼構わず懐いたり好意を示したりするのはあまり気分の良いものではなかった。
世話を申し付けている邪見や阿吽に懐くのはまだ良いとしても、あの人間の小僧(琥珀)や飄々とした刀鍛冶までもがその好意の範囲内に入っているというのは面白くない。
ましてや自分と対峙している時に、自分以外の者に対して好意を示したり、懐いたりするなど言語道断である。
そんな殺生丸の内心を知ってか知らずか、りんが無邪気な様子で訊いてくる。
「ねえ、殺生丸さま。また今度、『こそでのて』さん、見せてくれる?」
「……状況にもよるな」
「?」
「あれは、私――つまり、着物の持ち主の着付けのとき以外は姿を現したりしないものだ。今はたまたま着付けを終えたばかりで、あれがまだ動ける状態であったが、そうでなかったら、いかに私が命じたとしても、そうそう姿を現すようなものではない」
「……そうなんだ」
殺生丸の言葉に、りんが少しがっかりしたような表情になる。
ただし、彼の言っている事は間違ってはいなかったが、真実の全てではなかった。確かに『小袖の手』は着付けのとき以外は殆ど眠っている類のものであり、そういった状態の時に実体化させるのは困難である。しかし、殺生丸ほどの大妖であれば、己の意思ひとつで彼らを実体化させることくらい簡単に出来てしまうのだ。
残念そうなりんの顔を見下ろしながら、殺生丸は再びそっとため息をついた。
己が女に振り回される日が来るなどと考えたことさえなかったというのに、選りにもよってこんな幼い少女がそれを成し遂げてしまうとは――
胸中に蟠(わだかま)る自嘲の念を苦いものに感じながら、殺生丸はりんに背を向けた。
「戻るぞ、りん」
「はあい」
明るく応じるりんの声を聞き、とてとてと己の後をついてくるその存在を意識しながらも、殺生丸は振り向いて彼女の方を見る事はせず、邪見と阿吽の待つ浜辺へと歩を進めた。
〈終〉
刀鍛冶が去った後、木立ちの中へと歩み去った殺生丸の後姿を見送りながら、りんは「ねえねえ」と邪見の着物の袖を引っ張った。
「殺生丸さま、何しに行ったの?」
「身形を整えに行かれたに決まっておろうが」
「……お着替えするの?」
「まあ、そんなところじゃ」
ふうんと納得しながら、ふと気がついたように邪見に問いかける。
「邪見さま、殺生丸さまのお着替えのお手伝いしないの?」
りんの質問に、邪見が呆れたように彼女を見上げる。
「わしの背丈で、殺生丸さまのお召し変えのお手伝いが出来るわけないじゃろうが」
確かにその通りである。
しかしそうなると、いったいどうやって着替えているのだろうか。今更言うまでもないが、彼は隻腕である。そして、着物や袴といったものは、片手で着脱するには――脱ぐ分には何とかなるかもしれないが――かなり無理のある代物なのだ。
りんが殺生丸の一行に加わってそれなりの月日が経っているが、彼女がそういった疑問を抱いたことは今まで無かった。
ある意味間の抜けた話であるが、それも無理はなかったかもしれない。まめに着物を洗ったり、繕ったりしなければならないりんと違って、殺生丸の装いはいつも整っていたからだ。戦闘の後などは流石に少し乱れた感じになるが、それもいつの間にか整えられているのが常であった。
殺生丸は大妖怪であり、身に付けているものも妖怪の手になる物であるから、人間の使うそれとは違うのだろうと漠然と思っていたのだが、妖怪であろうと人間であろうと、着替えるときには帯や紐を締めたり結んだりしなければならないことには変わりない。
「でも、帯とか一人で大丈夫なの?」
「殺生丸さまは大妖怪じゃぞ。そのくらいの事、何でもないわ」
妖力でそのくらいは簡単だと仄めかすが、りんには今ひとつ飲み込めないらしく、小首を傾げている。
「……それにな、殺生丸さまのお召し物には、『小袖の手』が憑けてあるから、問題は無いんじゃ」
もう少し解りやすいように言ってやるか、と思ってそう言うと、りんの顔が更にきょとんとしたものになる。
「……こそでのて?」
明らかに理解してない口調でそう繰り返すのに、邪見が呆れたような顔になるが、考えてみれば普通の人間が知っている筈も無いものの事ではある。
「『小袖の手』というのは、まあ……妖怪の一種じゃな。代々受け継がれた着物などに精が宿って生じた手だけの妖怪で、着付けなどを手伝ったりするんじゃ」
気を取り直して、簡単に説明してやると、りんが感心したように眼を瞬かせる。
「へえ、便利な妖怪さんなんだね。……あれ? じゃあ、殺生丸さまの着物って、おとうやおじいちゃんのお古なの?」
「馬鹿な事を言うでないっ、殺生丸さまのお召し物が古着などである筈が無いじゃろうが!」
「え? でも、古い着物の妖怪さんなんでしょ?」
大真面目にそう訊いてくるりんに、思わず肩を落としてしまう邪見であった。
子供らしいと言えばそうなのだが、『小袖の手』の説明の方に気を取られて、その前に話した事が意識の外に追いやられてしまったらしい。
「……あのな、さっき『憑けてある』と言ったじゃろうが。妖怪の着物なら、新しい物でもいいんじゃ」
「ふうん、そうなんだ」
納得したように頷いて、殺生丸が向かった先に眼をやる。そんな彼女には構わずに、邪見は滔々と説明を続けていた。
「……しかし、殺生丸さまほどの御方のお世話を申し付けるのじゃから、そんじょそこらの雑魚を使うわけにはいかん。ああいった者の中でも、特に優れたものを選び出して憑けておる。着付けだけでなく、ある程度、自力での再生も可能なくらい妖力の強いものをな。だから、殺生丸さまのお召し物はつねにきちんとしておられる。人間の着物から生じた連中なんぞとは比べもんにならん。
りん、お前もおなごの端くれなのじゃから、少しは殺生丸さまを見習って身形に気を遣うといった事を覚えた方が……って、おい、りん? 何処へ行ったんじゃ?」
薀蓄を語っているうちに、りんへのお小言が邪見の口をついて出てきて、彼女の方に顔を向けるが、既にりんはその場にはいなかった。
邪見が説明に夢中になっている間に、りんはそっとその場から離れて殺生丸を探しに木立ちの中へと走っていった。
急げば『小袖の手』とやらが、殺生丸に着物を着せているところを見られるかもしれない。
(着物から手が生えてるって、どんなんだろう? ……やっぱり袖のところから生えてるのかな?)
邪見の説明を聞いているうちに、りんはその『小袖の手』という妖怪が見たくて見たくて堪らなくなってきたのだ。
子供らしい好奇心に駆られ、彼の姿を探していると、まもなく木立の向こうに白銀に輝くものが見えてきた。思わず歩調を緩めて足音を忍ばせるようにするが、考えてみればすぐに匂いで自分が来たことは判る筈だと思いなおして、そのまま普通に歩き始める。
そしてりんが考えていた通り、殺生丸は彼女がやって来ていることに気がついていた。下僕と一緒にいた少女の匂いが、こちらに向かっているのを察して、軽く張り巡らせていた結界を解いて、自分の姿が見えるようにしてやる。
着物の脇から生えている(様に見える)細い腕が、上帯を整えてからすうっと消えるのを見やると、そっとこちらを窺っている少女に向かって声をかける。
「りん、何をしている」
その声に、りんはびくっと肩を震わせて恐る恐るといったように木の陰から出てきた。
何か言いたそうではあるが、何を言っていいのか分からない、といった感じの少女に無言で側に来るように促すと、ほっとしたように駆け寄って来た。
「……私の着物がどうかしたか?」
いつもなら、真っ直ぐに自分の眼を見上げてくる少女が、珍しく視線を落として己の着物を見つめているのに気づいてそう問いかけると、少し考えるような表情をしてから口を開いた。
「あのね、邪見さまが、殺生丸さまのお着物には『こそでのて』っていう妖怪さんがいるって教えてくれたの」
「……」
「お着替えとか手伝ってくれるっていうから、どんなのかな、って思って」
こちらを見上げてそう言いながらも、時折ちらりと視線が袖の方に行く。余程気になるらしい。
「……見たいのか」
別に放っておいてもいいのだが、いつも真っ直ぐに自分に向けられている少女の意識が散漫になっているというのはあまり面白いものではなく、ふとそんな言葉が口をついて出た。
「え? いいの?」
途端、りんの表情がぱあっと明るくなる。
それを見下ろしながら、軽く意識を集中して、『小袖の手』に左袖の方から出てくるように促すと、やがて一対の青白い腕が袖口から伸びてきた。本来は、着付けのとき以外には姿を現さないものであるため、何処か落ちつかないような感覚が伝わってくる。
「わぁ……」
いつもはただ風に揺れるだけの左袖から、細い腕が現れたのを見て、りんが小さく声を洩らす。
「……触っても大丈夫?」
しばらく色々な角度から眺めていたが、ややあって好奇心を抑えきれなくなったのかそう訊いてくる。
「別に構わんが」
「でも、急に触ったら驚いたりしない?」
「……?」
「だって、見たり聞いたり出来ないでしょ」
「……」
殺生丸には一瞬何のことだか解らなかったが、その後に続けられたりんの言葉で漸く納得した。手だけのモノだから視覚や聴覚が無いのだと思っているのだ。
「我らのような目や耳は無いが、それに代わる感覚はちゃんとある」
「へえ……そうなんだ」
殺生丸の言葉に、りんが不思議そうに『小袖の手』の指先を見つめる。
妖怪である殺生丸にとって、目や耳と言った外的器官の有無が、即そういった知覚の有無に結びつかないため(妖力でその辺りは何とでもなる)、りんの疑問は妙に目新しく感じられた。
りんがそっと『小袖の手』の甲の辺りに触れると、一瞬驚いたようにびくりと動いたが、殺生丸が無言で命じるとおとなしくなった。それでも、他者――憑いている着物の主以外――に触れられる事など初めてであるため、落ち着かない様子ではある。
「わぁ、すべすべしてる。お姫さまの手みたい。……指も長くてきれいなんだ……すごーい……」
始めこそ恐る恐ると言った感じで触れていたが、『小袖の手』がおとなしくしているのに安心したのか、両手で包み込むようにして触れてくる。
「……りんや邪見さまだと、ちっちゃいから殺生丸さまのお手伝いが出来ないんだ。でも、『こそでのて』さんがちゃんとお手伝いしてくれるんだったら、大丈夫だね」
にこにこしてそう言いながら、少し冷たい細い手を撫でる。まるで何かの仔を撫でるかのようなその仕草に、『小袖の手』が戸惑っているのがはっきりと判る。
そろそろ頃合かと思い、りんに手を離すように言おうとした矢先、殺生丸の知覚に奇妙な感覚が伝わってきた。
「……?」
それが何であるかを見極める前に、左袖から伸びた『小袖の手』がりんの手から離れ、その襟元に伸ばされる。りんがきょとんとしている間に、細い手は器用に彼女の襟を整え、肩に手をかけて後ろを向かせると、少し緩んでいた帯の結び目を直してやった。
「……あ、緩くなってたんだ。ありがとう」
礼を言われて、少し戸惑ったように細い手の動きが止まる。何処かしら妙に暖かな感覚が伝わってきて、殺生丸もまた困惑して『小袖の手』を見下ろした。
最初から妖怪として生を受けた者、あるいは人や獣が妖怪化したものとは違い、器物から生じたものたちは自我意識というものが希薄な傾向がある。彼らにとって「関係」と言うものは、本体である器物の持ち主と己の意志だけのものなのである。それが他者に興味を示し、あまつさえ着物を直してやるといったことまでしている。
りんの事が気に入ったのか、と無言で問いかけると、肯定の感覚が伝わってくる。
「……」
とりあえず姿を見せるのはもういいと命ずると、細い手はするすると殺生丸の左袖に引っ込んだ。細い指先が袖の中に消えると同時に、再び左袖は空になり、力なく風に揺れた。
その様子をじっと見つめていたりんが、殺生丸を見上げてにっこりと笑う。
「殺生丸さまの言ったとおりだね。目とかが無くても、ちゃんとりんの事がわかるんだ」
「……」
「帯のいろんな結び方とかも知ってるのかな?」
「……さあな」
恐らくは知っているだろうが、殺生丸自身はそういったことに何ら興味が無いため、その知識を生かす機会は――彼の着物に憑いている限り――無いであろう。
彼の返事にこころなしか残念そうに左袖を見つめているりんに、殺生丸は内心でため息をついた。
この少女が他者に対してかなり懐っこいというのは解っているが、誰彼構わず懐いたり好意を示したりするのはあまり気分の良いものではなかった。
世話を申し付けている邪見や阿吽に懐くのはまだ良いとしても、あの人間の小僧(琥珀)や飄々とした刀鍛冶までもがその好意の範囲内に入っているというのは面白くない。
ましてや自分と対峙している時に、自分以外の者に対して好意を示したり、懐いたりするなど言語道断である。
そんな殺生丸の内心を知ってか知らずか、りんが無邪気な様子で訊いてくる。
「ねえ、殺生丸さま。また今度、『こそでのて』さん、見せてくれる?」
「……状況にもよるな」
「?」
「あれは、私――つまり、着物の持ち主の着付けのとき以外は姿を現したりしないものだ。今はたまたま着付けを終えたばかりで、あれがまだ動ける状態であったが、そうでなかったら、いかに私が命じたとしても、そうそう姿を現すようなものではない」
「……そうなんだ」
殺生丸の言葉に、りんが少しがっかりしたような表情になる。
ただし、彼の言っている事は間違ってはいなかったが、真実の全てではなかった。確かに『小袖の手』は着付けのとき以外は殆ど眠っている類のものであり、そういった状態の時に実体化させるのは困難である。しかし、殺生丸ほどの大妖であれば、己の意思ひとつで彼らを実体化させることくらい簡単に出来てしまうのだ。
残念そうなりんの顔を見下ろしながら、殺生丸は再びそっとため息をついた。
己が女に振り回される日が来るなどと考えたことさえなかったというのに、選りにもよってこんな幼い少女がそれを成し遂げてしまうとは――
胸中に蟠(わだかま)る自嘲の念を苦いものに感じながら、殺生丸はりんに背を向けた。
「戻るぞ、りん」
「はあい」
明るく応じるりんの声を聞き、とてとてと己の後をついてくるその存在を意識しながらも、殺生丸は振り向いて彼女の方を見る事はせず、邪見と阿吽の待つ浜辺へと歩を進めた。
〈終〉
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2005/09/27 |
- 読切(原作) |
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手始め
まずは短いものから。
単行本では42巻に収録される事になる場面での兄の心中を根性で妄想。
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単行本では42巻に収録される事になる場面での兄の心中を根性で妄想。
帰還
不快感が全身に纏わりついていた。
自分を気遣ってか、あれこれと話しかけてくる下僕に蹴りを入れて黙らせると、無言のままりんと阿吽を残していった場所へと向かう。
いつものように、少女は楽しげに双頭竜に話しかけながら、花摘みをしていた。
おとなしく頭を下げて、二つの首に花輪を飾られるままにしていた竜が、主の気配に気づいて片方の首を上げる。その動きをなぞるようにりんもこちらを振り向き、殺生丸の姿を認めると大喜びで駆け寄ってきた。
「殺生丸さま! おかえりなさい!」
喜色満面で近寄ってきた少女の顔が、殺生丸の様子に気づくと同時に、はっとしたような表情になる。
それも無理は無いだろう。
今の己の姿は、御世辞にも無事であるとは言いがたいものであるのだから。
鎧は砕け、着物も裂け、肉体の傷もまだ完全に癒えておらず、あちこちに残った傷は生々しく血を滲ませている。
りんが殺生丸のこれほどまでに傷ついた姿を見るのは、初めて出会った時以来かもしれなかった。
「…殺生丸さま…大丈夫…?」
見上げてくる少女の黒い瞳が、不安げな色に揺れている。
幼い少女の姿に重なるように思い出されるのは、天生牙でも救い得なかった一人の女。
瘴気に侵され、風の中に消えながら、それでも最後に微笑んでいた風の化身。
「――大事ない」
もし――
もし、この少女が――
「でも、ケガが…」
殺生丸の答えを聞いても、尚も不安そうにしているりんを、邪見が脇から叱り付ける。
「こりゃ、りんっ! 殺生丸さまが『大事ない』と仰っておられるのじゃ。お前ごときがあれこれ口を出すでないわっ!」
「えー? でも…」
煩く喚きたてる下僕が気に触ったので、りんの横を通り過ぎざまに踏みつけると、そのまま海に面してせり出した岩へと腰を下ろす。
背後でりんが慌てたように邪見を助け起こす気配を感じながら、殺生丸は虚空を見つめて思索に耽っていた。
嬉しそうに自分を見つめて笑う少女。怪我を案じて不安そうに瞳を揺らす少女。
天生牙でこの世へと引き戻し、以来、共にあることを許してきた人の雛。
その命もまた、風の中へ消えていったあの存在と同様に(いや、それ以上に)、儚く、脆いものであるのだと――不意に、そう突きつけられた気がしたのだ。
天生牙で救った命。
天生牙でも救い得なかった命。
この二つの間に何の違いがあると言うのか。
事故や病による死であれば、天生牙は確かに有効であろう。
だが、瘴気に侵され、肉体が消滅してしまったら――
そして何より、寿命による死に対しては――?
思考は螺旋を描き、一向に纏まることが無い。
使い手の思考に反応してか、天生牙がやたらに騒ぐのが感じられる。
風の中に覚えのある臭いが混じっているのを嗅ぎ取り、殺生丸の表情が僅かに動いた。
それをきっかけに空転する思考を断ち切ると、立ち上がって近づいてくる気配の方に顔を向ける。
「よお」
地響きと共に、三つ目の妖牛に乗って降りてきた刀鍛冶の姿に、殺生丸は冷たい視線を向けた。
不快感が全身に纏わりついていた。
自分を気遣ってか、あれこれと話しかけてくる下僕に蹴りを入れて黙らせると、無言のままりんと阿吽を残していった場所へと向かう。
いつものように、少女は楽しげに双頭竜に話しかけながら、花摘みをしていた。
おとなしく頭を下げて、二つの首に花輪を飾られるままにしていた竜が、主の気配に気づいて片方の首を上げる。その動きをなぞるようにりんもこちらを振り向き、殺生丸の姿を認めると大喜びで駆け寄ってきた。
「殺生丸さま! おかえりなさい!」
喜色満面で近寄ってきた少女の顔が、殺生丸の様子に気づくと同時に、はっとしたような表情になる。
それも無理は無いだろう。
今の己の姿は、御世辞にも無事であるとは言いがたいものであるのだから。
鎧は砕け、着物も裂け、肉体の傷もまだ完全に癒えておらず、あちこちに残った傷は生々しく血を滲ませている。
りんが殺生丸のこれほどまでに傷ついた姿を見るのは、初めて出会った時以来かもしれなかった。
「…殺生丸さま…大丈夫…?」
見上げてくる少女の黒い瞳が、不安げな色に揺れている。
幼い少女の姿に重なるように思い出されるのは、天生牙でも救い得なかった一人の女。
瘴気に侵され、風の中に消えながら、それでも最後に微笑んでいた風の化身。
「――大事ない」
もし――
もし、この少女が――
「でも、ケガが…」
殺生丸の答えを聞いても、尚も不安そうにしているりんを、邪見が脇から叱り付ける。
「こりゃ、りんっ! 殺生丸さまが『大事ない』と仰っておられるのじゃ。お前ごときがあれこれ口を出すでないわっ!」
「えー? でも…」
煩く喚きたてる下僕が気に触ったので、りんの横を通り過ぎざまに踏みつけると、そのまま海に面してせり出した岩へと腰を下ろす。
背後でりんが慌てたように邪見を助け起こす気配を感じながら、殺生丸は虚空を見つめて思索に耽っていた。
嬉しそうに自分を見つめて笑う少女。怪我を案じて不安そうに瞳を揺らす少女。
天生牙でこの世へと引き戻し、以来、共にあることを許してきた人の雛。
その命もまた、風の中へ消えていったあの存在と同様に(いや、それ以上に)、儚く、脆いものであるのだと――不意に、そう突きつけられた気がしたのだ。
天生牙で救った命。
天生牙でも救い得なかった命。
この二つの間に何の違いがあると言うのか。
事故や病による死であれば、天生牙は確かに有効であろう。
だが、瘴気に侵され、肉体が消滅してしまったら――
そして何より、寿命による死に対しては――?
思考は螺旋を描き、一向に纏まることが無い。
使い手の思考に反応してか、天生牙がやたらに騒ぐのが感じられる。
風の中に覚えのある臭いが混じっているのを嗅ぎ取り、殺生丸の表情が僅かに動いた。
それをきっかけに空転する思考を断ち切ると、立ち上がって近づいてくる気配の方に顔を向ける。
「よお」
地響きと共に、三つ目の妖牛に乗って降りてきた刀鍛冶の姿に、殺生丸は冷たい視線を向けた。
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2005/09/27 |
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2005/09/26 |
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